目には見えない・科学でも解明できない「奇跡の現象」を実話から思う記




偶然にしては程がある・実際に起こった奇跡の出来事

それはたまたま偶然だよ~!」ということを言ったり言われたりしたことがあるでしょう。

たまたま偶然に出くわしたとか、たまたま偶然に当たったとかいう現象は確率的に何万分の一などで表すことができるのでしょうけれども、奇跡的な現象は確率的な表し方にもできないでしょう。

それは確率を出す前の段階で、この世界では常識的にありえない事だからです。

これはアメリカで実際に起こった、正にこれこそ奇跡としか言い表せない実話です。

1950年3月、ネブラスカ州ベアトリスのある教会で大規模なガス爆発事故が発生しました。

その事故が発生した時刻はここに通う15名の聖歌隊が歌の練習を始めている時間だったので、救助へ着いた消防隊も木端微塵になった状態をみると中にいる全員は絶望だと思っていたのでした。

ところが爆発跡を調べても一人も痕跡が見つからなく、救助隊は不思議に思っていたのでした!

それもそのはず、その15人すべてその時間にはまだ誰も来ていなかった為、当然に全員無事だったわけです!

これはまったく信じられない話ですが、その日15人の全員がそれぞれの全く異なる理由によって爆発した時間に来ていなかったというのです!

今まで誰もこの練習に遅れてきたり休んだりしたことのなかったにもかかわらず、その日に限って数人どころか全員が来ていなかったとは・・

いくらなんでも15人の一人も来ていなかったなんて、常識的に考えてもありえないでしょう!

しかも全員が遅れた理由は何も特別なことではなく、日常的なちょっとした理由で時間に来れなかっただけなのです。

その日に限って寝坊していたとか、ラジオに夢中で遅れたとか、レポートの仕上げに時間かかったとか、車のエンジンがうまくかからなかったとか、急に手伝い事を頼まれて時間に遅れてしまったとか、15人それぞれがこの様なささいな理由だったのです。

偶然にしても程がある奇跡的なこの現象については当時の新聞やニュースでも取り上げられ、全国で有名になったのは言うまでもありません。

15人全員が来なかったとするその確率を数学者が計算しても、100億分の一では済まない奇跡的値になるだろう言っていたそうです。

偶然の出来事と奇跡の現象は異なるもの

たまたま偶然」という現象は日常的にも多々起こることがあります。偶然同じ場所に来ていたとか、偶然同じ服を着ていたとか、交通事故も偶然の出会い頭で起こってしまうわけで、人が考えられる常識的にありえないことでもありません。

しかし「奇跡の現象」とは、人が考えうる常識的にありえない出来事が起こることを意味しています。

常識的にはありえない現象はと考えると沢山思いつきますが、常識にまだ捕われていない子供達なら多くの空想ができるので簡単に思いつくでしょう。

例えばSFアニメのように超能力が一番に出てくれば、人が犬やトラなどの動物に変身できるとか、簡単に車を持ち上げるとか、ケガを数秒で治してしまうとか、非常識的な現象が奇跡という言葉と同じ意味になるのでしょう。

この先の出来事がどうなっているのか分かるという先見の目を持っている、いわゆる占い師(予言師)にも以前会ったことがありますが、どうして私のその2年後の様子が見えたのだろうか今でも不思議に思っています。

それはたまたま偶然に2年後の様子が当たったにしては確率的にも無理がある程なので(具体的な情景まで表した事を含めると)、奇跡的な能力によって私の未来を観れたのだとしかいえない出来事だったわけです・・

目に見えない、科学でも説明できない現象が、この世界にこのように現実的に起こっている以上「そんなこと常識的にありえない」とはいえないでしょう。

木から無傷で落ちて不治の病も治ってしまったとか、医学的には死亡体となった人が蘇ったとか、全員が爆発の日に遅刻して助かったとか、偶然というのには無理があるのです!

この世界には「見えない何かの力(作用)」によって非常識的な事を起こす「奇跡の現象」が起こるのだと確信しています。そしてまた、それは単なる「偶然」とは全く違うということだけは確かなのです。

つづく・・


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