自然界では「食べられるものは決して捨てない」のが常識であるのに記




先日、スーパーやコンビニで消費期限を過ぎた食品を廃棄している量の多さをドキュメント番組で観てとても驚きました!

わが国では600万トン、世界では年間総量13億トンという食料が捨てられているとのことなのです。

今ならまだ食べられるパンやおにぎり、お寿司や麺類お弁当、バナナや野菜など凄い量が毎日廃棄されていること、これは自然界から考えると非常に不思議な行為にみえるはずです。

その一方で、世界には今日の食べ物に困っている人たちがいることも現実で、恵まれた生活ができている人には分からない生活が実際にそこにはあるのです。

食べ物を捨てている程に余裕がある人たちがいる一方で、どうして餓死するほど食べられない人々も大勢いるのでしょうか・・

今回は、人間以外の生物には考えられない「フードロス」ということについて考え綴っておこうと思います。

まだ食べられるものを廃棄している利益主義の人間

その昔、太平洋戦争で敗戦国となった当時は食べられなくなった人たちも多かったのですが、10年20年30年と経って経済成長を達成すると、やがて食べられない家庭も少なくなりました。

そして沢山の様々な食品工場から全国へ配送されるようになり、その昔とは比べ物にならない程に豊富な食糧が常に身近に手に入る環境となっていきました。

しかし、高度経済成長期&バブル時代を終えると経済的に苦しい家庭が徐々に多くなっていくと、会社は自衛のために正社員ではなく、いつでも切れる便利な派遣労働者を選ぶようになり益々貧富の差が増しました。

そして昨今ドキュメントニュースでも放送されていた通り、コンビニやスーパー、レストランでは毎日のようにまだ食べられるものが捨てられており、賞味期限が多少過ぎてたとしても実際にはまだ食べられる食品は多いにもかかわらず、買い物客には買われない商品ということで廃棄処分となっているのが現実です。

大昔なら売れ残ったものを近所や親せきに配っていたのかもしれませんが、今はそうはいきません。

生物として自然に考えるならば、余ってしまった食べ物を無駄に捨てるくらいであれば食べ物を必要としている人たちに与えて助け合う方が価値があるはずです!

現代の儲け儲けが一番という資本主義社会では仕方ない事とは分かりますが、食品になった牛や豚、野菜は何のために命を人間に納めたのでしょう・・

いただきます!」という言葉の意味は何処へいってしまったのでしょうか・・

スーパーマーケットやコンビニで売れ残った食品を値引して完売できることが最も最善な方法ですが、それでも残ってしまった食品はその後は本当に廃棄するしかないのでしょうか・・

昔と違い身近な人たちに最終的でも分け与えることさえ禁止しているというのは、資本主義のデメリットになっていると思います。

たとえ人道的に勿体無い思っていても、決して食べられない貧しい人たちに与えることはしません。その理由として、人としての人道よりも資本主義としての利益を優先しなければならないからです。

高度な人間だけが設定している社会のこういった冷静な仕組みには、慈悲心や道徳といった精神は別のものとして置いておく(致し方のない)ことになっているわけです。

道徳のある人間として考えるならば、無駄に捨てるなら誰か必要な人に与えるのが自然なはずです!

人間は利益を第一とプログラムされている、心のない冷たいロボットではないはずですから・・。

フードロス対策を実行し始めている一方の現実

近年は捨てる食品は勿体ないという意識が一部の人たちから湧き上がり、フードバンクや格安店へ流れて一般的に利用されるようになりましたが、それでも食品全体の一部分でしかありません。

魚や肉などの生もの食品、数日だけの消費期限品はほとんど廃棄するのが普通の流れなのです。

家畜のエサになるのであれば循環的に最良なことですが、家畜のエサにできる人間の食べ物は限られているわけで実際は一部分だけになっているのです。

2000年度に大規模な企業には肥料やエサに変換するようにと食品リサイクル法が施行されるようになりましたが、人間用の食品成分には粗脂肪や粗蛋白質等が高いため直には使用ができないようです。

再生利用するためのその過程でカビや細菌による汚染、異物混入あるいは添加物の残留に留意するほか、食品脂質は劣化し易いために特に注意しなければならない為、乾燥や加工(配合)や検査等の手間が必要となり、逆に経費がかかってしまうのです。

したがって廃棄食品の対策において実際のリサイクル率は0.3%ほどで、残りのほとんどは焼却や埋却されている状況である。ということは、↓のように大気中にその煙は拡散されていくわけです!

人間の作り上げてきた現代文明は、豊かさ便利な生活を得ることができた反面、その代償として美しかった地球環境を削っていきました。

道徳よりも利益」を選んだことでここまで文明が進んだ近代人なのですが、その代り近年の大気汚染・森林破壊による異常気象に繋がってしまいました。

アメリカとイタリアではフードロス対策として税金の優遇策を設定しており、フランスではフードロスに対して罰金刑が設定されていますが、一部の国だけでは地球を変えることはできないのです。

確かに資本主義によって栄えた人間社会には、様々な素晴らしい食品・料理が沢山生まれました。

現代人が作った素晴らしい様々な食品ですが、その余った食べられるものを困っている人に分け与えずに燃やしてしまうという無駄な行為を(利益主義に縛られている現代人でも)本当は良い事だとは思ってはいないはずです。

日本国には戦国時代から殿様からの縛りを与えられていたとしても、「義理」「人情」という思想はその頃から受け継がれているはずなのですが、現代の資本主義・利益主義という縛られた環境になったことでそれらが薄らいでしまったのです。

道徳や慈悲」そして「愛の心」や「全ての生命」を軽んじた無情な人類に未来はありません。これはとても残念ではありますが、いずれ人類自らを消滅へと向かわせているともいえるのです・・

そして、戦後復興から高度成長期を恵て豊かになった1970~80年代、食べ物が沢山あって捨てても当たり前の様に人々がなってしまった頃から、何も変わらずに今日まで生きていた我々には、考え直すべき時が既に来ていた事とやがて解かることでしょう。

 


最近の記事(トップページ)

生活・出来事の山(カテゴリーページ)

人の世を考える(カテゴリーページ)