この世の「得」と「徳」を考える記・見えないものを信じられる人向け




前記では「守り神は存在するのかという題で記しましたが、これに関連する大切な事を付け加えるべきだったと感じましたので(特に記事内容を信じられる人向けとして)今回の題で綴っておこうと思います。

この世界で目に見えるもの以外にもそれぞれ何か見えない力が作用していること、それらを信じられる人には分かると思いますので是非とも一緒に考えてみましょう。

高度な生物である人間として生まれてきたこと

生まれてまだ幼い時はあまり深く考えることをせずに動物と同じ様な行動をするものですが、次第に人間として物事を考えるようになっていきます。

やがてだんだんと成長していくにつれ、自分は何が好きだとか何をしていきたいなどを思いつくようになります。

それが生まれてきた目的だったり、やりたいことだったりへ繋がっていくのであれば、それが本当に理想的なわけです。

しかし、自分は本当はこの世界に何しに来たのか覚えていないのが常である為に、また白紙からオリジナルの絵を描き始めることもできるわけです。(今回のシナリオで)

臨死体験をしたことのある人であれば多分理解していると思いますが、この現実世界にこの身体がある時のみ経験ができる様々なこと、それを深く考えれば本当にこれは貴重なひと時かもしれません。

一方で、貧困で食べられない境遇や病気で痛い思いをしている人たちにとっては、この世界は地獄に思えるているわけですから、この世界に生まれてきたその意味を考える余裕などは無いでしょう。

しかし、なぜそのような境遇に生まれたのでしょうか・・

ふつうは好き好んで嫌な所へは行くことはしませんし、不便な体になりたいとも思いません。

でも実際は厳しいトレーニングをしたり修行の様なことをしたりして、とても苦しいことと知りつつも、わざと自分を鍛えることを選ぶ人がいるのも確かです。(ある程度余裕な環境の人たちですが)

こういった事を考えると、厳しい境遇に生まれてきた人たちの「真の意図」が薄っすらと見えてくるのです。
つまり、そういった人たちは(己に)あえて厳しいものを選んで、高度なレベルを目指している存在なのかもしれないと思えるのです!(例えばアスリート・スポーツ選手のように)

この人間の社会に生きる上で、その理性によって良い事と悪い事の区別ができる高度な頭脳を持った生物として生まれてきたこと、それには何かしらの深い意味(目的)があるはずなのです。

経済的にも身体的にも環境的にも、何の苦しさもなくその寿命まで人生が送れる人は(実際には稀だと思いますが・・)この世界に生きている人にとってそれこそ幸せいっぱいで望みの人生にはなりますが、心(魂・精神)が何も鍛えられず強くもなれません。また更に、人の苦しみや悲しみとはも何だか解かりません。

昔からあるロールプレイングゲームで、やられても立ち上がってだんだん成長して強くなっていく主人公のように、人生もラストまでなんとかやり遂げるのが完走者の得られる達成感や幸福感なのです。(そこに順位は必要ありません)

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