この世の「得」と「徳」を考える記・見えないものを信じられる人向け




この世の【得】と【徳】

その昔、学校で「道徳」という科目がありましたが、人間は「道徳」といわれる心得を持てる生物です。

人間という存在は地球上で生きている生物の中でも、特別にズバ抜けて高度な頭脳と身体的構造を持っている生き物で、自由に使える指や手、走る飛びあがることのできる足、深く考え発明できる頭脳、これらを合わせた能力は社会という優れた世界を作っており、地球上の他のどの生物にもできないことです。

地球上にいる人間以外の生物は、たとえ人よりも優れた手足や特殊な能力があっても、何かしらの道具を発明し製作・大量生産等することなどはできません。

しかしその反面、同じ人間同士で(生きていく上においては)必要のない無意味な争いや騙し合いなど、下等生物でも行わないことから今だに脱することもできていないのも事実です。

生き続けるための衣食住の確保や自衛は仕方ないとしても、それ以外に同類を意味なく攻める(生きていくに必要のない無駄な行為)ことは、下等生物以下ということになるのです。

道徳」という人間だけが心得ることのできるものを、人としてこの世界に生きているうちに身に入れられないならば今生は失敗で終わりとなるのかもしれません。


この世に生きているうちに稼いで使える【】は、この世界に生きているうちに積み重ねて貯まる【】とは全く意味も重みも違います

人に心を込めて「ありがとうございます!」と、感謝されると自分も気持ちが良いものです。

自分にとって「」を考えずに何か手助けをしてあげ、感謝されることで気持ちが良くなることが「」ということなのです。

人の役に立つ、感謝されることは自分が気持ちが良い思いをするだけではありません。

形もなく物質ではない「」、それは積み重なった実績となって体を抜けた後にも一緒に持っていけるです!(この世界で得たお金や家や車などの物質は置いていかねばなりませんが・・)

あるドキュメント番組で、出生前記憶の残っていた幼児が語った話がありました。

僕はお空の上では金持ちだったんだよ!」とお母さんにつぶやくと、「えっ!お空の上にはお金があるの?」とお母さんが聞きました。

すると、その子は「違うお金。たくさん良い事をしたお金だよ・・

お金という言葉にしかこの世界では表現ができないのでしょうけれども、おそらくこの子が言っているのは、良い事をした実績(つまり【】)を沢山持っていたという意味なのでしょう!

更にその幼い子は別の事も言ったそうで、「お母さんを助けること」と「人に喜ばれること(感謝されること)」のために(目的で)生まれてきたそうなのです。(幼児が話す事ではないビックリするほどの道徳的心得です😲!)

この世界(この次元)に生きている間には生活していくための「」も当然に必要ですが、同時に次(次の所)に持っていける「」も貯めていくことが最良の人生なのだと解かるのです!

幼い子供が話した記憶の通り、どれだけ人に喜ばれたか・感謝されたかが大切だということなのです・・

人間の持つ「心」と「念」は素晴らしき能力!

人間以外の動物(特に哺乳類)にも「愛情」というものがあります。子供や仲間を守ったり育てたり、時には慰めたりもします。

当然に人間にも当然に「愛情」はありますが、それ以上に人間には素晴らしい「念」というものがあるのです。

人の心、思いは信念・念願・想念・祈念など沢山の言葉で表せます。これら人ならではの思いは、正に他の哺乳類などにはない素晴らしい能力だと思うのです。

この世に生活していくには確かに「」も必要ですが、(次に)持って行けるという「」もなるべく同じくらい集めておくことを「心に念じて」生きていけば、後々には理想の人生だったとなるのでしょう。

↑人に喜ばれること・感謝される度に大きくなっていく『徳』の財


ここは余談ですが・・

仏教において全宇宙の悟りを得たお釈迦様(釈迦如来)といわれる神様の名前がありますが、私的に考えるとこの存在はおそらく通常の人類ではなかったのかもしれないと思えるのです。(人知を超えた別次元の宇宙人みたいな存在に変化した者とか)

生まれる前の記憶を語る幼児たちの話の中にも「如来様」という存在が出てきますので、魂の集まっている別次元に管理者というか援護者というか、そんな係で存在しているのかもしれませんね・・

本当なのかどうか、それは別次元へ行かないと分かりませんが、ともあれどんな人でもいつかは身体から出られますので、その時には事実がはっきりと解かるのでしょう。

前記➡この世界に起こる奇跡的実話を考える


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