人生は1つの旅で「自分の作ってきた旅の計画表通り」と人の世に想う




人生は1つの旅であり、「自分の作ってきた旅の計画表通り」に進んでいくものだと、この人の世に想うのです。

長い年月この世に生きていると、本当に様々な出来事が起こるものです。それは人それぞれに違い、2つとして同じものはありません。

人生は人それぞれ違う旅であり、その旅の計画表も全て違うのです。この世に生まれる日時も、場所も性格も様相もみんな違います。

人生は旅行日程の様におおまかに決まっている

長い旅、短い旅、それが「寿命」といわれる旅の終了日として決まっているのです。そしてそれは、予め自分で作ってきた旅の計画表が元になっているのです。

旅行計画を企てる時を思い出してみましょう。ある程度細かい旅のスケジュールを作る人もいますが、少なくとも出発日と主要目的、そして終了日は必ずあるはずです。

どこに生まれて今回のこの人生旅行をスタートさせるか、どういう所でどういう事を体験するか、そして旅の終わりまでを計画書の様に作ってきたわけです。

有名な霊能力者も語っていたことですが、「宿命」といわれる生まれも終わりも境遇も、予め決まっているということです。

それは旅行計画書と同じに、出発日と行先や目的、そして終了日は当然に決まっています。それ以外の体験、例えば自由に歩き回れる時間なども予め決めてあれば、その通りに行うわけです。

人生も同じように、生まれる時代の日時と目的(何をするか)、どんな体験をするかを計画してきたのです。人として生まれるという貴重な人生旅行ですから、それはそれは沢山の所を見学し、沢山の経験をしたいと思うでしょう。

同じ時代に生まれ生きている様々な人らとの出会いは、旅の途中で出会う人たち(自分の物語の登場人物)と全く同じ様です。

ある人のために生まれて終わる役目の計画表もある。

予め今回の人生旅行の計画表を自分のためにではなく、「人のために」作ってくる場合も多いのです。ある人のために生まれて終わる役目の人がいるのです。

人は独りでは生きてはいけません。誰かに産んでもらい、誰かに育ててもらわなければなりません。
そして誰かの影響を受けて、また一方で自分の存在が誰か何かへ影響を与えていきます。

人として生まれてくる目的(企画)は様々であり、人に影響を与える役目とその人から影響を受けて生きていく人などが必ずいます。

子供の頃や若くして終わってしまうという役目の人がいます。これは誰が考えても「こんなに短い人生旅行計画など作るわけないでしょ?!」と思ってしまいます。

しかし、その人は残された家族や知人に大きく影響を与えたはずです。「愛しい人、親しい人を失った悲しさ」を与え、その人の人生に一つの試練を与える役目になります。

残された家族や親しい人にとって、それは大変に厳しい人生の試練ですが、その試練が人生の体験になり「人の悲しみ」というのを知る(学ぶ)のです。

「悲しみや辛さ」を抱えながらも、自分の人生を最後までやることが「試練の体験」であり「この人生を全うする」という大きなゴールを目指す目的になっています。

人生は「体験の場」です。「学びの場」なのです。この3次元世界へ体験に来た旅人であり、ほかの人の存在が自分の人生体験に協力してくれる大きな物語(シナリオ)になっているのです。

思い出してみてください。「あの人に出会ったから、こうなったんだ」や「この人に会わなければ、こうならなかったはず」ということがあるでしょう。

出会った人は自分に影響を与えましたが、その人もまた自分から影響を与えられたはずです。それぞれみんなが周りの人らから何かしらの影響を受け、また影響を与えてきたのです。

こうして人生の旅が出来上がっていくわけですね。

良くも悪くも人生の体験となり

輪廻転生というのがありますが、みんな自分の前の人生なんて覚えていないので信じられません。(また、まったく新しい魂だとしたなら今回の人生が初めてですから、前世なんか無いわけですし・・)

こういった関連の書物の1冊に記されていたのを思い出しますが、何もトラブルのない人生物語など面白いわけがありません。刺激的な体験が面白いはずです。そこに大きな試練・学びがあった方が印象に残る旅になるのです。

旅行は生涯で何回行きますか? 何回も行ける人は恵まれているわけですが、いろいろな旅行をしたいものです。

その昔、異国の地への旅行中に怖い思い(体験)をしたことがありますが、かえって印象に残るのはそういったトラブルなどの出来事になるものです。

良い思いをした旅の思い出は当然ながら、何かトラブルを体験したことも印象に残るものです。

人生も同じに、幸せな体験もトラブルの体験も両方があって「印象に残る人生旅」ということです。

遊園地へ行くと、優しい乗り物に乗ってゆったりするのも良いですけれども、刺激のあるジェットコースターや怖いお化け屋敷にも行きたくなるものです。

せっかくの人生を与えられるのですから、ゆったりとした幸せばかりではなく、刺激のある体験もしたいという人生計画をたてるはずです。良いことも苦労することも両方してみたいわけです。

幸せな気持ちも辛い気持ちも、この世界の体験として持って逝けるからです。

みんな平等に幸運という「おこずかい」を持ってくる。

昔の事です、旅行へ行った時にある程度おこずかいを持参していきますが、旅の始めで多く使ってしまい後から貧しい思いをしたことがありました。

人生も同じに例えることができるかもしれません。みんな同じ量の幸運を持って生まれ、その幸運を始めに使ってしまえば後で少なくなってしまいます。

最初に苦労に我慢し(幸運を使わなければ)耐えていけば、後々には沢山に残っている幸運を使えることになるのです。

人それぞれの旅行日程が違いますが、幸運という「おこずかい」の使い方も予定通りかもしれません。先に使うか、後に使うかでも人生に大きく変わっていくわけですから。

よく占いで「立身出世」とか「大器晩成」とかいわれますが、若い時から裕福になれる人と歳を取ってから裕福になる人とを表現しています。先におこずかい(幸運)を使って出世する人と、先に苦労して晩年に使う人との違いでしょう。

大きなゴムの反動に似ている成功と失敗

その昔のこと、同僚の先輩に競艇という賭け事を教わったことがありました。サラリーマンが賭けられる金額などは大した額ではありませんので、たとえ当たったとしてもテレビさえ買えない当選金です。

ある時、窓口に並んでいた時に前の人が沢山の金額を申し込んでしました。大きく賭ける人は、当選した時の大きさが違います。しかし、その反面に負けた時の損失も大きなものとなるわけです。

人生も同じような印象を受けた話を聞いたことがあります。たまたまある事業で大きな成功を収め、大きな会社となった人がいました。しかし、時代の変化と共に事業は失速し会社は倒産。大きな負債を抱えた社長は豪邸も家族も失い浮浪者に変わってしまいました。

私の様に大きな成功もない人生は、大きな損失もない人生なのでしょう。それはゴムを引いた場合と同じように、大きな引っ張りを維持できない場合は大きなリスクという反動を伴っているものとなっているのでしょう。

何かが良ければ何かが悪い

昔、お祖母さんが言っていたことを思い出します。それは、「全てが揃っている人はいないよ!」

一間の間口に襖が一枚だけしかないと「右に引けば左が開いて、左に引けば右が開いてしまう」という様に、一方が足りれば一方が足りないということが人生に当てはまるというのです。

お金には不自由しないけど、様々な病気に悩まされているご婦人がいました。一方では家族みんな病院などに行くことはないけれども、経済的に悩みが続いている家庭があります。

それぞれの家庭にそれぞれの悩み・問題が必ずあるはずです。今は無くても過去にあったかもしれませんし、今はなくても将来起こるかもしれません。

物語というのは、「何かが良ければ、何かが悪い」方が面白い具合にできているものです。

人生という旅は「面白い体験、エキサイティングな経験」が求められるはずですから、平凡な旅では物足りない気持ちで帰宅となってしまいます。

山登りの時の様に、険しい道を歩き抜きゴールに到達できた時の「達成感・満足感」は計り知れないものがあるのです。


人生は旅行計画の様に自分がある程度作ってきた「日程と目的(役目)」があるとはいえ、途中の自由時間の様な時をどう作っていくかは「自分のアドリブ」になるのだと思います。(今回の旅計画外出来事)

旅から帰ってきても、「実に貴重な体験ができて良かった!」「実に面白い旅行だった!」と自慢できる、誇れるものでありたいと皆が思うでしょう。

人として生まれ人生を体験した後も、同じように「実に良い人生体験ができて本当に良かった!」と思いたいものです。