全ての事には意味がある!すべての人生にも意味がある




老いた年寄りの言うことなので、軽く流してもらえばと思います。

「全ての事には意味がある。」

 

前回、「偶然とは」について 記しておりましたが

「偶然にしてはおかしい」「うまく出来すぎている」など感じたこともあるでしょう。


遠い昔のことです。

当時、私が勤めていた会社が経営難に陥り、やむなく去った時代のこと

次のあてを探していたのですが、どうも行くべきところが定まらず

迷い迷って、噂で聞いた あるところへ足を運びました。

そこは、「人の先が薄っすらと見える」という能力の持ち主がいるところでした。

いわゆる 占い師とか霊能力者といわれる人でしょう。

疑わしい詐欺まがいの占い師がいるとの事も知っていたので、半信半疑でした。

その時に私に伝えられたことは、やっぱり見に覚えがない、考えてもいない方向の事でした。

と、その時は「何を言っているのか」と落胆のように帰ってきたのです。

しかし、その伝えられた事の事実が解るのは、それから2~3年経過した時だったのです。

その時言われた方向、伝えられたその通りになっていたのでした。

どうして、人の先(行く末)が視得たのでしょうか。

それも2~3年後の状況で、その時は全く想像もしなく思ってもみないことを。

それを「偶然でしょ?」とはまったく思えないほどに、考えられない方向性ですから・・

ふつうに考えると「原因があっての結果

原因があって、結果があることは誰もが判ります。

ずっとその方向を向いていたから、その方向へ進むのがふつうなはずですが、

自分でも思ってもみない、考えてもしない方向へ行くと誰が解るのでしょう。

年月が経過し、違う方向に向いていくのを自分でも想像もできないのです。

それを、細かい情景まで言葉で表現し当てたのは驚くべきことでした。

それは簡単に例えるならですが、TOYOTAしか乗らないファンの人がTOYOTAの車を探しているが2~3年後に「貴方はNISSAN車に乗っているでしょう。」と言われたのと同じくらい

そんなバカなと、その時に思うはずです。

それと同じように、私も当時伝えられたことを「そんなバカな!」というように

考えてもいないことだったのです。

 

「後になってから解る」

そのことは、2~3年後にならないと解るはずもないことでした。

その答えの年月を過ごす間は、その方向へ向かって進んでいましたから

当然、その時が来るまで方向は変わりません。

その代わりに、その方向性で失敗を繰り返していきます。

やがて、時が経ってその時期がやってきたのでしょう。

私は、2~3年前では考えてもいなかった方向へ行って落ち着いていたのです。

それが、言われたその通りのものだったのです。

その伝えられた2~3年前の時、なぜその将来が解ったのでしょう。

将来が観えたなら、もう先は既に作られているということになります。

何処へ行くのも、どうなるのも。

後で聞いた事ですが、当時私の未来をズバリと当てたその方は
当てたというか、なんというか 凄いことを経験した人がいたそうです。

聞いた話では、ある青年2人がその方を訪ねて近い将来を視てもらおうと
しましたが、一人目の青年は近い将来を言ってもらえましたが
もう一人の青年には、何も近い将来は言ってもらえなかったそうです。

それもそのはずでした。
その青年は、数か月後オートバイ事故でこの世から去ってしまったのです。

その時には、彼の将来が本当に視えなかったので言えなかったのでしょう。
その青年のことについては、何も将来が無かったということです。

 

人生は「あみだくじ」のように

あみだくじというのは、あらかじめ書かれている線を辿っていき
最後に何処に着くかが選んだ時にすでに決まっているというもの。

それが辿っていくうちに、あっちへ曲がり、こっちへ進みという
方向が移っていきます。
それが近くに行かなければ分からないのです。

しかし、始めに選んだ時には既にゴールが決まっている状態なのです。

良くない結果になった時、よく言われることがあります。
「ここへ行けば良かったのに・・」「ああしていれば良かったのに・・」
など、過去についてを悔やむもの。

良い結果の時は、さほど過去を振り返ることは考えませんが
「あの時、そうしたから良かったのだ」「こっちへ選んだから」と
良い結果の原因を逆戻ししてみると、そうなるんです。

でもよく考えると、最初にずっと戻ってみると今までの全てが
意味がある「あみだくじ」のように感じられることを知ります。

今のこの状態は、その時に作られており
その時の状態は、そのさらに前に作られているのです。
もっと逆戻ししていくと、今の状態に繋がるしかなかったと
解ってくるはずでしょう。

自分のその親のところへ生まれた時から考えてみるのです。
「その親から生まれたので、一緒にここへ付いて来た」から
「その親の環境だったからそういう風になった」など
原点から考えると、今の自分の環境や居場所まで
今までの流れから、そうなっていく原因が細かく意味に繋がるはずなのです。

事故に遭う事さえ決まっていることになる。

そう考えていくと、昨日事故に遭ってしまったとか、幸運に出会ったとか
そうなった原因を逆戻ししていけば、本当に最後は生まれた時や所まで
戻ってしまいます。

つまり、最初に選んだ線まで戻ると「スタートから決まった」と
なってしまうのですね~

タイムマシンでもあれば「あの時に戻って、ああする」とかできますが
リアルタイムなので、ゲームとは違いストップはできません。

1分前にも戻れないので、1分前さえ選び直す事ができないのです。
もうすでに決まっていることを、知らないまま進んでいっています。

いつ、どうなるか決まっているけど、分からないだけです。

これもまた何十年も前のことですが、行く道を試行錯誤していた当時
1冊の本を書店で見つけたことがありました。

その本に「ある方の体験話」という記事が少しだけ書かれていたのを
今でも覚えています。

「私は幼い頃、ある老人に私の大切な人生の節目についての行く末を全て書いた紙を
親に渡されたのですが、それがすべてその通りだったのです」と。そして

「自分の考えで行ったはずの職場や、自分の意思で決めた結婚時期さえすでに書かれていた」
「そして、子供の事やその先のこと、最後は最後の時までも その通りでした」と。

なぜ、その老人はその人生が全て解ったのでしょうか。
私のことを当てることができた人のような力を持っていた人間だったのでしょう。

将来が視えるとか、解るとかという力の持ち主がいることも不思議ですが
まだ訪れてもいない将来がすでに決まっているという事も信じられませんよね~

証明ができない為、体験した人しか認めないのは当たり前のことです。

別記にも綴ってありますが、「予知夢」デジャビューというものを経験した私は
それを証明はできませんが「信じる」しかありませんでした。

 

このたった今を、悩んでいる人は こう捉えましょう。

最初に生まれ、ある一本のあみだくじを選んだのは自分で
誰のせいでもなく、周りのせいでもない
今までの過去、昨日や先月、去年、5年前の流れから
今が作られていたので、どうしようもありません。

そして、この流れはこの先も作られており
起こること遭遇する事、良い事も、悪い事もすべて
避ける事ができないものであると。

そして、「全ての事には必ず意味がある」のだと。

そうなった意味も必ず後になって解る時がくるのです。