人生は全て過去から繋がった「あみだくじ」みたいなものだと想う記




先日ふと、このサイトを始めた時の第一番目の記「全ての事には意味があり、全ての人生にも意味がある」という題名でスタートしたのを想い起こすことがありました。

あらから既に数年が経ちましたが、今回はもう一度それを振り返りながら、新たに別記として作っておこうと思い綴っておくものです。(己の人生を想う記録の意味としても・・)

また、今回の記は以前に綴った「そのたった1秒がその後の人生(運命)を変える」という内容のものとも関連している話かもしれません。

起こる事は全て、僅かな過去の出来事から決まっているという必然

物事が起こる事は全て必然である!」と、昔のTV番組「オーラの泉」でも言っていたのを想い出しますが、凡人にとっては「フンっ・・」と、鼻で笑ってしまうことかもしれません~

しかしその鼻で笑う凡人でも「何かのせいで何かが起こる」という「原因と結果」くらいは理解するかと思います。

宿題をやらなかったから先生に叱られるとか、ちゃんと締めなかったからドアが開いてしまうとか、単純な例えですが これも一つの「原因と結果」だと理解・納得はするでしょう。

大げさに言えば「些細なことでも過去に作った原因が、すでにその未来の結果を決めている!」という解釈になりますが、今回のこの記の趣旨に近いもので、例えとして頷ける映画が2つあります。(以前の記でも一部取り挙げたことがありますが・・)

ひとつは「バタフライ・エフェクト」という作品名で、これはバタフライ効果という現象名になっています。(この映画内容というより映画タイトル名、つまり「カオス理論」といわれるものです。)

些細な出来事でも、後々に大きく影響を与える結果に繋がっていくという現象です。その僅かな事があった場合と無かった場合とでは、その後の流れが大きく異なってしまうという意味になります。

もう一つは「ベンジャミンバトン・数奇な人生」のシナリオの中でのワンシーンで、まったく他人のそれぞれの僅かな行いが少しづつ重なっていった末、ある一人の人生に大きな影響を与えてしまうというものでした。

自分ではどんなに気を付けていても、努力していても、どうにも避けられない出来事があります。「まさかこういう風になるなんて、まさかこんな流れになるとは・・」が起こるものです。

この世界には自分だけが存在しているわけではありませんので、他の知らない人が何をして後々に自分に影響を与えるようになるか分かりません。逆に、自分が行った僅かな事が後に他人へ大きな影響を与えていくかもしれません。

現実的には過去に戻れるわけではありませんので全ての出来事は結果論になってしまいますが、ただ言い切れることは「ほんの些細な事でも未来が大きく変わってしまう!」ということです。

大げさに思えるかもしれませんが例えば、今「ここで転んで足を骨折してしまったこと」さえも、その過去によって決まってしまっていた事となるのです!

先に記した映画の、ある一場面と同じような例を観てみましょう!(長いので、その場面を思い浮かべながら読み進みましょう)

♢  ♢  ♢  ♢

その朝は珍しく少しだけ寝坊してしてしまい、急いで顔を洗ってすぐに着替えて家を飛び出します。

いつもよりも急ぎ足で歩いて駅に向かうのですが、僅か数秒でも時間を短縮するためを考え

いつもの歩道橋を上がらずに1ブロック先の横断歩道まで行って渡ろうと思いつき、そのまま歩道を歩くことにします。

しかし、そこへ行く途中で歩道脇に置いてあるゴミを軽く飛び越えますが、着地した右足裏はちょうど歩道と道路の段差の真ん中だった為に

足首のバランスを崩してコンクリートの路肩で転んでしまったわけです。(その後、転倒骨折として入院となってしまいました。)

さて、この不運な出来事は「たまたま・偶然」だったと思いますか・・?(普通はそう思います!)

この転倒骨折のそもそもの原因は「歩道橋を上がらなかったから」と、その朝「少し寝坊してしまったから」だと考えられるでしょう。(単純には)

しかし実はその前日さえ(過去)も関係しているのです。そして、それではなぜ「少し寝坊してしまったか」に遡ります。 そう、その寝坊してしまった理由です・・。

その前日のこと、午後になって事務所のプリンターが突然不具合を起こして壊れてしまいます。

交換部品が必要なためプリンター修理を依頼しますが、夕方過ぎても出張作業員は来ません。

翌朝に提出するべき書類をプリントアウトしなければならないので、ひたすら修理を待つしかありませんでした・・(今日修理に来れるというので)

やがて、みんなが退社する頃になってから、ようやく修理員が来るのでした。

しかし修理が終わってプリントが完成したのは、いつもの退社時刻より2時間も遅くなっていました。そしてこの事によって、いつもの生活時間は2時間ズレることになります。

つまり通常の生活が2時間だけズレたことによって、就寝にもそれが影響したことになるのです。


ここまで遡ると、翌日に転んでしまう原因が「プリンターの故障」というところまでになりますが、当然にその前があるわけです。

つまり「プリンターが故障した原因」が、その前の些細な出来事にあるのです。

それは、壊れる数日前に遡ります。その日、プリンターのインクが無くなった表示を見た職員は、いつもの様にインクを交換しようとします。

しかし、その交換しようとした時にちょうど通路をすれ違うタイミングで歩いていた2人のうち、その一人がもう一方の一人を避ける瞬間が訪れます。(来る方と行く方のすれ違う瞬間)

交換しようとしている職員の背中に、通り過ぎる一人の腰(お尻あたり)が少し当たります。

しゃがんでいた状態で背中を少し押された職員はその一瞬当たって押された勢いに、差し込もうとしていた交換するトレイ部分の(奥の部品の)ツメを少し欠けてさせてしまいます。

そして欠けたしまった部分が、プリンター内部の何処かに落ちていきます。

しかしその職員は、そのツメの欠けた部分のことに気が付きませんでした。

これによってプリンターの内部構造に少しづつ影響が始まり、やがて数日後の故障を招いていくのでした。

ここまで時を戻ってみると最終的に「転倒骨折した原因」が、通路をすれ違う二人のタイミングが重なり、インク交換作業をしていた職員に腰が接触したことが「プリンター故障」の原因へと繋がっていったまで分かりました。が・・

しかし、二人がちょうどすれ違うタイミングになった原因も、実はその先にあるはずなのです。

一人は客先からの電話連絡が入ってると呼び戻されて、急いで自分のデスクに戻る途中でしたし、

もう一方は昨日の夕飯に食べ過ぎた辛い食べ物で、その時ちょうどお腹が不調になって急いでトイレに駆け込む途中だったのです。

つまり、この二人のタイミングがその時にちょうど重なった為と、そこまで原因は繋がっていました。

最終的に「転んで骨折してしまう」までが、この時点(数日前)で すでに決まってしまったということになるわけです!

数日前の些細な出来事が、数日後に事故やケガを起こすことに繋がっていったのです・・

もし、この数日前に一方の人が夕飯に辛いものを食べ過ぎなかったとしたら、その時にトイレに急ぐこともなく職員にも接触しないので「プリンター故障」も起きなかったでしょう。

プリンター故障が起きなければ、退社時間も遅くはなりませんので寝坊もなく、いつも通り歩道橋を上がっていますから、あそこで転ぶこともなかったわけです。

実は、さらに考えてみると先があったに違いありません。なぜその夕飯に辛い物を食べ過ぎたのかの原因となることへ繋がっていくのです。

そしてまたさらにその前の原因へと、どんどん原因が繋がっていくのです。何日も何週間も何年も前にも繋がっています。

最後には子供の頃へ繋がり、そして生まれた時や場所へと繋がっていることになるのでしょう。

これが、正にスタートから既に繋がり決まっている「あみだくじ」になっている様に思えるのです。

人生のシナリオ(全ての流れ)がスタート時点から既に決まってしまう

上の画像(あみだくじ)を観てみると分かりやすいと思いますが、生まれたスタート地点で時と場所を一線で選んでいるイメージになっています。

一本選択が違っていると進み方も違ってしまいますし、遭遇する出来事も違っていきます。

経済的には困らない家庭に育つけど病気になってしまったり、貧乏な子供時代を過ごしてきたけど病気にはならず入院したことがないなど、選んだ一本によって様々な出来事が違っていくのです!

時を遡ってそうなった原因を辿っていくと、果ては人生の最初のスタート時点まで戻る様で、

それはまるで「あみだくじ」みたいに作られている「人生シナリオ」の様です!

一番最初に選んだスタート線は、すでに作られていたジグザグに線の上を流れるように進んでいくのです。

その先は右に曲がらせられ左に進まされ、様々なオリジナル出来事と遭遇していくわけです。

この世に誕生した日時、誕生した場所、誕生した家庭 それが「この人生のスタート

これが自分の与えられた(選んだ)シナリオ(選んだあみだくじの一本の線)になったのです。

その先に何が起こったとしても、それはもうスタートから決まっていた事ということになります!

占いの時は、必ずと言っていいほど「あなたの生年月日は?」と聞かれるでしょう。

そこに生まれた地が加われば、おそらくもっと詳しく人生のシナリオが分かるかもしれません。

 

一度繋がってしまった物語は、分かっていても変えられない

本当に優れたスピチュアル的能力者は「人の未来が分かる(見える)」ということ、これは知っている人も多いと思います。

とある能力者が昔、ある有名芸能人の「人生の終焉時期」を直接本人へ知らせたにもかかわらず、後に結果としてそのシナリオを変えることができなかったという実話がありました。(知っている人もいるでしょうけど、誰かは伏せておきます)

また、仮にそれを防げたとしたならば、それは「何らかの過去の影響」によって始めから防げることになっていた必然事になるのでしょう。

これもまた映画になりますが、「ファイナル・デスティニー」という作品がありました。予知夢によって飛行機事故する運命を変えてしまい一時の命が助かるが、やはり宿命は許してはくれなかったというシナリオでした。

この原作はまるで「最初に決められたことは変えられない!」という事を伝えていた感じがしました。

あみだくじのスタートに選んだ一つの線(道筋)は、その時点で既に最終結果が決まってしまうことを知っているでしょう。選んだその一本は、やがて左右にどのように流れていき、どのような最後に行きつくのかまで決まっているのが分かります。

しかし、一本の線をたどりながら毎日の生活をしている我々には、あみだくじの全体が見えるはずもなく、先がどうなっていくのか分からないだけなのです。

大雑把に今までを振り返ってみると、それは(過去)すべて今に繋がっていることが思い出されます。

それを選んだ理由が、そのずっと先の過去にあるということを踏まえて

自分の過去を想い出し、時を戻っていってみましょう。

 

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