昔懐かしの青春ドラマは本当に心に沁みるものだったと今想い出すの記




歳を取って暇な時間ができる時、ふと動画サイトを開いて検索してみると、あの頃の懐かしい青春ドラマを見つけることができます。

今から40年以上も前の1978年~1985年、まだ私も学生時代で青春ドラマをTVでよく観ていたものでした。

特に想い出深いTVドラマは「ゆうひが丘の総理大臣」や「ふぞろいの林檎たち」、そして「ライスカレー」です。

今現在と比べれば私と同じ年代の人口比率はとても多いと思いますので、このTVドラマのタイトルはほとんどの同年代(1960年代生まれの人)が覚えているかもしれません・・

まだ当時は電話のダイアルを人差し指でジージー回す時代で、TVもブラウン管だったことがドラマを観ると思い出されます。

パソコンもスマホもインターネットもなかった時代で今と比べれば不便に感じますが、会社やレストラン、列車や飛行機でタバコも吸えたし、今よりも厳しくはなかった時代なのです。(バブル時代)

これは歳を取ったせいかもしれませんが、あの頃のTVドラマは「演出も脚本もセリフも全て」と言って良いほど 心に沁みるものだったなぁと今になって観て痛感するのでした・・。

今回は当時のいくつかの青春ドラマを想い出し、このドラマを観ていたあの頃の自分の環境を想い(同年代の方々と追想しながら)ここに綴っておきたいと思います。

もうあの頃には戻れないけど、せめてあの頃の青春ドラマから若き日を想い出してみましょう・・

青春時代の自分が観ていた青春ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」
1978年、毎週水曜日夜8:00に日本テレビで1年間も放送されていた「ゆうひが丘の総理大臣

青春ドラマブームスタートの「俺たちの旅」や「青春ど真ん中」などの後年に製作されたものでしたが、年齢的にもこのドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」は本当に毎週楽しみだったのを覚えています。

原作の漫画からTVドラマ化された中村雅俊主演の学園もので、由美かおるや神田正輝も同僚の高校教師でした。今考えると可愛いほどの不良グループに井上純一や草川 祐馬、清水昭博、そして女子には藤谷美和子や斎藤友子が思い出されます。

特に思い出があるのは(何話かすっかり忘れましたが・・)、生徒(たぶん不良生徒の一人)がある日出会った校外の美しい娘との一時の淡い恋の回で、その娘が当時の私にとって一目惚れするほどの魅力を与えれてしまって脳裏から離れずに今でもそれだけは覚えていたのです・・(もうすでに顔も忘れてしまったのですけど・・)
この翌年から大ヒットしてシリーズ化となった有名な武田鉄矢先生の「金八先生」が始まりましたが、(すでに私は中学生ではなかったので)この「ゆうひが丘の総理大臣」の方が想い出があるのです。
あの時代にぴったりで最高だった青春ドラマ「ふぞろいの林檎たち」
1983年~シリーズ化となって、97年のパート4まで製作されたTBSドラマでした。
サザンオールスターズの曲「いとしのエリー」を聴くと、必ずこのドラマを想い出す人は同年代には多いのではないかと思います!
山田太一氏の作品で、今想い出すとシナリオといい、セリフといい、演出といい(間の取り方など)、全てが今のドラマとは比べようがないほど最高に良かったと思うのです。

主演は中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾、手塚理美、石原真理子、中島唱子で、この6人がメインキャラクターでした。

特にこの男子大学生3人のやり取りやセリフや間の取り方など、あの当時同年代だった私の学生生活にピッタリだったので、このドラマは最高だったのです!(視聴率は20%以下だったらしいけど)

また、サザンオールスターズの曲が最初から最後まで(その場面場面のシナリオに)合っていて、観ている全ての人たちの胸に浸み込んでいったに違いありません・・

1983年に製作された「ふぞろいの林檎たち」のシナリオは、三流大学に通う3人の親友同士が青春時代を繰り広げるもので、その一つ一つの光景がちょうど当時の自分を写しているかの様でしたから、毎回夢中になって観ていたのを想い出します。

そしてその2年後の1985年には続編のパート2(社会人スタート後の仲間編)、さらに時が経過した6年後の1991年にはパート3(30代になった仲間たちとの交流編)が製作されましたが、メインのメンバーたち以外の登場人物は少しづつ変わっていきました。

そしてさらに続編シリーズ4が1997年に製作されましたが(個人的にはあまり観ていた記憶が薄いのですが)、メインのメンバーたちは全員しっかりと登場していたようです。やはりパート1から14年間の月日は歳を取ったことを感じさせられるものでした。

シリーズ1~4まで、学生の頃から社会人になっても親友3人+友人らの深い友情と青春が続く様は、本当に羨ましい感無量の物語だったと思います!
たとえ学生の頃にどんなに仲良かった親友たちでも、社会へ出て様々な環境の変化に流されていくと、なかなか親友同士が集まれる機会はなくなってしまうもの。まして遠方へ離れ離れになってしまった友達なら益々です。
まだ卒業して間もない20代ならば友人らの結婚式などに呼ばれて逢える時もあるでしょうけれど、中年になって家族中心に生活している状態では過去の友人のことを考える余裕もなくなってしまうものです。
このドラマは最終のシリーズまで、メインの全員が健全に登場していたことはシナリオ的にも本当に良かったことと思います。
個人的にいえば、できれば熟年となった時代の「パート5」なんて製作してくれないかなぁ~なんて思っていますけれども・・。
青春時代に抱く夢にぴったりのドラマだった「ライスカレー」

ライスカレー」は、1986年に放映された倉本聰脚本の青春ドラマでした。確か視聴率は10%前後の低い値だったためか覚えている中高年の方々は少ないかもしれませんが、当時に夢を抱く若い私にとっては深く感銘を受けさせられたものだったのです・・

主演のケン役に時任三郎、アキラ役に陣内孝則、ブンタに布施博、カナダで出会う青年BJ役に中井貴一、この主な登場人物で繰り広げられる夢を追う青春の物語です。他に北島三郎、田中邦衛、ガッツ石松、藤谷美和子などの豪華キャストでもあったのです。

特にこのドラマの主題歌(宇崎竜童作詞作曲「ALONE & ALONE」)が耳に残っていて、この曲を聴くと必ずこのドラマ「ライスカレー」が思い出されるのです。

1974年(S49年)夏に甲子園大会で優勝した銚子商業高校。S60年代70年代は千葉県代表として常にトップの強豪校でした。このドラマでは商業ではなく工業高校と名称を変えていますが、シナリオの題材となったのは、きっとこの当時の銚子商業だったのでしょう。

漁業が盛んな千葉県銚子で共に野球部員だったケンとアキラとブンタの3人は、甲子園という同じ目標に燃えた共通の想い出を持っていました。

野球部時代は常に甲子園への熱き情熱があったのだが、卒業後それぞれの社会へ飲み込まれていくと、あの頃の様な熱き情熱はもう見出せないままだったのです。

しかしそんなある時、野球部の大先輩でカナダに渡っていた寿司屋の次郎氏から呼び出された3人。そして彼ら3人は、「カナダでライスカレー店を開くから来い!」と誘いを受けたのです!

高校野球部を卒業してから特定の夢を持っていなかった3人は、野球部の時みたいな新たな大きな夢を与えられたかのように胸が高鳴ったのだが、3人はそれぞれの家庭の事情を抱えていた。

ケンは姉と父の問題、アキラは母の問題、そしてブンタも人には話せない問題が出ていたのである。そして、ついに町内で3人の歓送会が開かれることになった夜、突然ブンタが辞退することになるのである!
しかし時は止まることなく進み、結局ケンとアキラ2人だけがカナダへ旅立ったのだが、現地には肝心な次郎氏が居なかったのである!
カナダを彷徨う2人はある時 BJと呼ばれる日本人青年に出会い、少しの間ログハウスの手伝いをすることになるのだが、その作業に耐えられなかったアキラは出て行くことでケンとは別れてしまう。
結局ケンはログハウス完成最後まで残り、アキラは母の葬儀で帰国。最後になって次郎氏は見つかることになるのだが、あの「ライスカレー」の話は次郎氏からもう離れてしまっていたのである・・
このドラマの題名は「ライスカレー」というものでしたが、本当は「大きな希望という夢」であれば何でも良かったということなのです。
ドラマの終盤にもセリフでありましたが、「何でも良かったんだ・・野球部の頃みたいな燃えるものが欲しかっただけ・・
1986年~90年にかけての当時は私も若かったので、このドラマの若者たちの気持ちと同調するするものがあったのです。

学生の頃に夢中になって追いかけていたものが、社会人になって日々の生活に流されていくことで今何を追いかけているのかが無くなっていることに気が付くことがありました。

歳を取ってから解かったことですが、人は各々の人生シナリオに沿ってオリジナルストーリーを演じて進んでいるもので、その時々の先にはどんな流れがあるのかが分からないこそ、最高の物語を完成させられるのではないでしょうか・・。
個々の人生は2つと無い個々のオリジナルドラマであり、長編ドラマも短編ドラマも全て己の書いてきたシナリオなのだろうと思うのです。
青春という若い頃に観ていたこの3つのドラマは、今になって観てみても本当に心に沁みるもの(物語)でした・・