プロ野球は観ないけど、夏の甲子園高校野球選手権大会は観るわけの記




毎年夏になると楽しみになる一つが甲子園球場で行われる「全国高校野球選手権大会」です。

今年も数々のドラマがありましたが、107年の歴史で初めて東北地方に優勝旗が渡りついに念願の「白河の関所越え」が達成となりました!(東北人でなくても、この初めてはとても喜ばしいことです!)

かつて我が県でもそうでしたが、初めて優勝旗が持ち込まれた時はそれこそ県民の全てが喜んでいたことでしょう。

私も子供の頃は野球に夢中だったことがあって、当時の後楽園球場「巨人対阪神」に連れて行ってもらったのも今でも薄っすらと覚えています。

あの当時はまだ南海ホークスや阪急ブレーブス、近鉄バファローズ、大洋ホエールズやロッテオリオンズという名前の球団があった時代です。

でも時は経ち思春期が訪れ そして青春時代には野球とはすっかり縁がなくなってしまい、プロ野球さえ観なくなっていました。(つまり野球というもの自体を観なくなったわけです・・)

しかし近年になって、地元県に初めて甲子園高校野球大会の優勝旗が持ち込まれた年には夢中で観戦していました。そして今回、この夏の甲子園大会には様々な深いドラマと感動が秘められていることに改めて気が付いたのです!(ということで、今記はこのことについて綴っておくことにしました。)

野球に興味なくても夏の甲子園高校野球大会は観てしまうわけ

この歳までになって初めて「なぜ毎年夏の甲子園大会が盛り上がるのか」が分かってきました。

野球自体に興味を持っていなかったまだ若い青年時代は、仲間と遊んだり恋を追いかけていたりで楽しみ、家族ができたらできたで子供たちを楽しませるのに夢中になっていたりで、全く他の事には頭が向かなくなっていたものです。

やがて気が付くと子供たちも親離れし巣立っていったりする時代になっており、いつの日か鏡を見ると自分もすっかり老いている顔になっていることを知ります。

若い頃(青年時代)は初老の人たちを見ると「自分はあんな風にはならないはずだ!」なんて思っていたと思います。

でも時は一滴一滴づつ溜まってやがて満杯になる桶の水と同じ様に着実に進んでいて、気が付けばあの頃に見た初老の人たちと同じ様相になっているのです。

そんな頃、真夏の猛暑の中でも元気いっぱい精いっぱいに若い体と体力を思い切り使って一試合一試合に挑んでいる球児たちの姿を観て、初めて【これはただの野球大会ではない、汗と希望(夢)と感動の物語(ドラマ)である!】と思い知らされたわけです・・(熱い感動の物語に魅了されました!)

甲子園球場1924年オープンから間もなく100年!

プロ野球を面白くないとは考えていませんが、今でもプロ野球は観ることはありません。

でも 夏の甲子園での高校野球大会はとても興味深いものがあり、毎年夏には必ず観るようになっています。(おそらく同じ様な人が沢山いると思います・・)

これは決して野球が好きというわけではなく、そこに観ることができる「この世に二つとない予想もつかない物語(ドラマ)が生まれる!」からなのだと思います。

私は夏季しか観ませんが、毎年夏の甲子園大会は全国的に視聴率が異常に高くなる理由は、たぶんこれと同じ様なわけがあるのではないでしょうか・・。

過去の最高視聴率をいろいろと調べてみると、だいぶ昔のことですが決勝試合高校の地方局ではなんと80%を超えたこともあったらしいのには驚かされます。

NHKが毎年独占的にライブで放映していますが、先の仙台地域では瞬間視聴率なんと40%以上にもなったそうでした。今の時代ではネット放送も含めるともっとプラスされるはずです!

夏季の甲子園は全国約3800校の野球部すべてに甲子園で試合ができる平等のチャンスがあり、毎年の様に初出場の学校が出てきますので、ずっと野球をやってきた球児にとって正に「夢と希望がある青春を賭けたドラマ」だと思います。

その時代時代によっては毎年同じ高校が甲子園に顔を出している場合もありますが、毎年球児は変わり監督もいづれ変わっていきますので、定番校が何年も続くことはないのです。(その昔PLの様に)

長い間練習を積み重ねて得た鍛錬さと時の勝負運によって、どこにも売っていない甲子園の切符を手に入れることができた感動のこの夢(ドラマ)は、常に12球団のプロ野球との最大の違いだと思います!

夏の甲子園には様々な感動の物語(ドラマ)が刻まれる!

甲子園に立つ高校球児が最後の夢に青春を賭けている姿(魂)は、老若男女すべて観ている者の心をとらえます!

甲子園を本気で目指している全国の高校野球部は、厳しい訓練や練習の日々を懸命に乗り越えひとつの夢に向かって進んでいます。

プロ野球とは違って、そこには3年間という時間の限りがあります。この限りのある時間の間に甲子園球場に立つという大きな夢の目標に向かっていく姿は、正に一人一人の青春物語(ドラマ)です。

負けたチームは土を持ち帰るという有名な伝統がありますが、もう二度とこの土を踏むことができない意味を物語っているのです。

毎年の甲子園では、様々な事情を持った物語(ドラマ)が刻まれていきます。

100年以上の歴史の中に東北地方に優勝旗が渡されたことがなく今まで「白河の関は越えられない」と言われてきましたが、104年目の回でついにそのジンクスを破ることができたドラマ!

数か月前に突然の訃報に仲間を失った球児たちは、その仲間の分まで頑張り続けた今回、見事に甲子園の舞台へ駆けあがった感動の物語もありました。

第97回の夏大会では、かつて中学の野球部で親友だった2人が別々の高校へと別れてしまった後、偶然にも互いに出場を果たし一戦を交えることになった試合が正に映画の様な物語でした!

現在では強豪校となっているチームと歴史も長くない無名の地方高校との逆転結果には、おそらく固定観念を覆された様なドラマを全国の人たちは感じたに違いありません!(大袈裟に言えば、まるで犬が虎に勝ったみたいな逆転劇)

これもあまりない奇跡の大逆転劇起こった試合だったそうですが、平成26年石川県地方大会決勝-小松大谷校と星稜の試合で、9回裏0点から奇跡の粘りで9点も入れて大逆転となった誰もが驚くべきドラマでした!
まさか最後の回、わずか1イニングを奇跡的に9点入れるなんて誰が想像できるのか・・?でした!

また甲子園では、あっと驚くことも実際に起こっています。それは 甲子園に初めて出場したにもかかわらず、いきなり優勝してしまった高校があったことです!(今までに14校もあり、平成からではH3年の大阪桐蔭とH25年の前橋育英)

若くして逝ってしまったOBが作った応援曲を、甲子園という晴れ舞台で演奏していた学校がありました。甲子園へ出場することは球児たちだけの夢ではなく、チアリーダーや応援団そして吹奏楽部員たちにも夢を与えているのです。

このように毎年夢の甲子園には、数え切れないほど沢山の深く刻まれる物語(ドラマ)が生まれているのです。

そして私たちは高校野球を観てるようで実は、込み上げる歓喜と感動を同調しているのではないかと思えるのです。(野球を知らない人でさえ、思わず涙が出てしまう感動の物語がそこにあるから)

一心に進む懸命な志を持つ球児たちは人間の学ぶべき精神(心)

厳しい訓練と忍耐力。甲子園は正に夢の舞台
それに一心に向かうから球児たちは耐えられるのだと思います。
純粋に生きる意味、今生きている目的・目標、感無量を味わえる舞台に向かっているのです!

地方大会を勝ち抜いて甲子園まで昇ることができたとはいえ、高校3年生は翌春の受験も待っており、高校野球最後の晴れ舞台となっているに違いありません。

プロ野球へ希望する球児も沢山いると思いますが、すべての希望者がプロになれるわけではありません。一方で大学で野球を続けていく者も多いでしょうけれども、その大多数はやがて一般社会人になっていくのです。

高校野球部にてまるで軍隊みたいに厳しそうなこの生活によって培った忍耐力は
どんな苦難にも乗り越えられる生きる力と優秀な人間の形成を得られたのではないでしょうか・・。

どこかで同類同士の無意味な争いごとをしている愚かな人類に比べたら、天と地ほどの差があると言えるでしょう!

球児時代にあれを経験したから、今どんなことがあっても怖くない、人生の苦難を何でも乗り越えられるという自信になっているに違いありません。

このように ひたすらに甲子園での晴れ舞台を目指してきた球児たちが魅せる大会は、ただの高校野球大会ではなく そこには「人として学ぶべき精神(心)」が秘められているであると今回初めて解かったのでした・・。そして、日頃野球を観ない人でさえ夏の甲子園に目がいってしまうわけも・・


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