生きるのを諦めそうな時、「生きていればいいこともある」という言葉





生きることを何回も諦めそうになった時、「生きていればいいこともある」という言葉

先日、ある体験記事を読みました。そしてこの言葉に亡き祖母の話を想い出したのです。

生きていればいいこともあろう!」 

昔、精神的に弱い青年だった私は、ショックを受けるとすぐに「どうやって逝こうか」などと
考え込んでしまう癖がありました。

そんな時、なぜか祖母は何も知らないにもかかわらず、私にその言葉を言うのでした。
幼い時から育てていた孫のことは何となく察することができたのでしょうか?

先日読んだ記事は、そういう不思議な祖母のことも想い出させるものだったのです。

そして、記憶に残っている祖母の語りをこの記事と重なっていきます・・

1945年、太平洋戦争(第二次世界大戦)が終わった年。祖母は身ごもっていました。

朝鮮から日本に来ていた男性と知り合い同居していたらしいのですが、「酒ぐせが悪い」ことと本国の人間ではないことが父親の反対理由になり、婚姻はできなかったようでした。

終戦後、間もなく朝鮮国が日本の統治から抜けるということで、その男性(相手)
祖国へ帰還していくことになったのです。

やがて祖母は未婚の母になりました。祖母はまだ父が健全だったため、夫が居なくとも
その子をどうにか育てていくことができていました。

しかし、次第に目の病に犯されていき、針仕事も十分にできなくなってしまいます。

さらにそんな頃に、父とのお別れが近づいてきたのです。

父親を亡くした後、目も悪く働けない自分にとっては我が娘を育てていくことは絶望的でした。

 

貧しい生活で、わが子に人並みの食べ物や用品を揃えてあげられない悔しさと諦めが、心に大きく覆ってきたある夜、祖母は小学生の娘の手を引き、夜の線路へ向かうのです。

ごめんね~

母の顔を見上げる娘に、そう言います。

手をつないだ娘が、涙をこぼす祖母の顔を見て手を引き寄せ

お母ちゃんおうち帰ろ、生きていればいいことあるんよ~


 

その娘は、今の私の母です。

先日読んだ体験記事と同じ様に、私の祖母の話そのものだったのです。

祖母は生前、孫の私達を幸せそうに子守りをしてくれました。

私の結婚式や子供達を見せてあげることはできませんでしたが、途中で命を投げ出さずに

己のシナリオ(寿命)を全うしたご褒美として、たくさんの曾孫を授かったのです・・

 

あの手を引いてくれた幼き娘も、結婚して孫を見せてくれました。可愛い孫に賑やかに囲まれ大きな幸せを感じることができた時、「あの時飛び込まずに、本当に生きていて良かったこんな幸せが味わえるなんて思いもしなかった!」と感謝でいっぱいでした。

結婚式で「お母さん、育ててくれてありがとうございました・・

その言葉を聞いた時、今まですべての苦労は一瞬で消えいきました。

全ての我慢と苦労は、この時の糧に変わっていたのでした。

~その記事から抜粋~

長生きするのも、短命であることも、全て己のシナリオなのかもしれませんが、
もし逝かないシナリオだったとすれば、生きることに我慢することなのです。

生きることに我慢」していけば、必ずいいこと「幸せ感」を味わえる時が訪れるのです!

生きてて良かった~!まったく感謝だわなぁ~!」と口に出る時が。

「母ちゃん、頑張って、生きてればいいことあるんよ!」

幼き子のこの言葉に、私も同感の涙が出ていました・・