時に人だけが「今、何のために生きているのか」を考えることがある記





時に人間は、「自分は今、何のために生きているのか」を考えることがあります。

毎日、朝目覚めると今日があり、そして生活をします。毎日忙しく慌ただしく生活している人は考えている暇などはないかもしれませんが、長い人生において何かのきっかけに遭遇した時には、考えさせられるものです。

自分が今 生きている本当の「意味・目的」を・・

人間だけが「自然からの使命」に縛られない生物

この地球上で人間以外の生物は「今、何のために生きているのか」なんて考えることはないと思います。人間以外は「生きる目的」がはっきりしているので、その考える概念さえ無いでしょう。

その生きている基本目的は、種の保存(自分の子孫を残すこと)です。それがDNAから与えられた使命であり最終的な目標です。

それに比べて人間はどうでしょう。 種の保存のためだけに生きていますか?

高度な知識生物である人間は、「私は種の保存のために生まれたんじゃない!」なんて思ったりできます。「自分の人生目標は・・・であり、私は・・に達成感を得ることよ!」という人もいるでしょう。

人間は「自然の使命(DNAの指令)」に従わなくても、その寿命まで生きていける特殊な生物だと思います。すべての生物に与えられている「種の保存という使命」に縛られず、自分のためだけの「理想の人生」に生きることもできる唯一の生き物です。

人は「自然の使命」と同時に「生き甲斐」に生きられる恵まれた生物

他の生物と違い、人は「自然の使命(種の保存)」のためだけに生きているものではないでしょう。しかし、もっとも高度な知識生物とはいえ、人も所詮DNAによって設計されている身体ですから「自然の使命(種の保存)」の指令があり、そのために生殖器も設置されているのです。

なので人間も成長していくにつれて、次第に異性に興味を抱いたりするように設計されているわけです。子孫を残すことが目的であるとか無いとかに関わらず、好みの異性との接触を求めるように設計されているのです。

生物の中でも人間は比較的寿命が長いため、子孫を残し成長させた後も長く生きていられる恵まれた生き物です。ある程度歳を取ると子孫は残せない、本来の生物としては役目の無い存在であるにもかかわらず長期間に渡って生きていられることは、自然からみたら本来不思議なこと(合理的ではない無駄な存在)なのでしょう。

人は、子孫を残すという「自然からの使命を果たすこと」と同時に、自分のためだけの人生目的(生き甲斐)を持てる本当に恵まれた生物なのです。

子供の頃は「大きくなったら・・になりたい!」などと大いに将来の自分を思ったものです。それがこれから生きていく希望であり、目的だったわけです。

大人になっていくうちに、子供の頃に思っていた自分のなりたいものも変わっていきます。その変わっていった希望でも叶っていれば良い方ですが、気が付けば希望してもいない仕事に就いていたりしています。

たとえそれが思ってもいなかった(希望してもいなかった)仕事に就いたとしても、それが「生活のための資金」を得るためだけではなく「やり甲斐や楽しみ」になっていたのなら、それが「生きている目的」とはっきりと答えられるでしょう。

逆に、生きるため(生活のため)に就いている仕事であれば、何のために生きている必要があるのだろうかと思うものです。<遠い昔、私もそんな時期がありました・・>

支えなければいけない親族や家族子供がいる場合は考えるまでもない事ですが、独り身の場合は最も考えてしまうことでしょう。

自分は今、いったい何のために毎日生きている?

ただ忙しい毎日に追われて生きている人は、普段余計な事を考えている暇など無いでしょう。しかし、何かのきっかけによってポカンと空いた時期は訪れるものです。

気が付けば、独りぼっちになっている自分が居たりします。

今まで長い間、忙しい毎日を生きてきた自分を振り返り、そして考えるのです。

「私はいったい今、何のために生きているのだろう(生きてきたのだろう)」

「本当の人生目的は何だろう」「何を最終的に目指しているのだろう」

会社員で懸命に働いてきた人は、こう思うこともあるでしょう。

「自分は本当にこの会社のために生まれてきたのだろうか」

「それとも生活するための資金を得るためだろうか」

「生活するため、生きるため」に収入が必要だったから・・

そして、さらに自分に問うのです。

「それでは何のために生活が必要なのか」

「何のために生きることが必要なのか」

生きている意味・生きている理由・生きている支え・生きている目標・この先に何を目指して生きているのか等、想い出せば必ずあったはずなのです。

ただ無我夢中に流され生きてきた場合、ふと気づいた時には「自分は何のために生まれてきたのだろうか」という大きな虚しさに覆われてしまうでしょう。

人も他の生物と同じように「生き続けるため」「なるべく長く生き残るため」、そのために「食べ物だけは摂取しなければならない」ということは共通しています。

しかし人は「何のために」という理由(生きる意味)が必要であり、そこが他の生物とは違うのです。ただ生きているだけでは「虚しさ」を感じてしまうのです。

「自分は~のために生まれてきたのではなく、~のために生まれてきたのだ!」

「私は今~のために生きているし、~のために寿命の限り生き続けなければならない!」

という理由や目的を持って意味のある自分だけの「信念の人生」を生き続けていくのです!