早く孫が欲しいと、誰もが思うもの?こんな父でも孫には特別な想い?




今現在、私にはまだ孫という存在はありません。

晩婚だったという原因もありますので、それがまだ先の事だとは分かっていますが、それでも早く孫ができることを期待はしているものなんだと思います~!

先日のTVで、有名人のさんま氏が言っていたのが印象的でした。

「所さんも、たけしさんも関根さんも、みんな孫ができて良いわな~!」

「うちなんか、まだ出来そうもないやんか~!ほんま羨ましいわ~」

と言いながらも、「孫の歌」を練習しているところがTV的に面白くしていましたね~!

そこに、所さんが一言 言いました。

孫を見せるのが、最高の親孝行なんじゃない~!それ以上の事は無いよ!」と。

その言葉を聞いた私は、思わず「その通りかもなぁ~!」と頷いていたのでした。

もう随分と前に「孫の可愛いさの意味を知る」という様な記を書いていますが、まだどうにか息をしている家族に怠慢な事をしてきた私の父でさえ、「」のことが特別に感じる様なのです!

過去にどんな悪い事をしてきた人間でも、「己の実の孫」の存在に対しては特別な感情が湧いて来るものなのでしょうかね~!

 

独りでは生活できなくなり、介護システムに生かされている状態になっている現在の父。定期的に様々な世話をしに訪問してあげていても、当たり前の事という感じの態度ですが、「」の話題となると態度が変わってくるのが分かります。

捨てた子供よりも、その子供(孫)に強い想いを抱かせるものとは、いったい何なのでしょうかね~!

 

まだ私には当分孫はできないので分かりませんが、ひとつだけ分かりそうなことは「わが子の幼き時代の可愛らしさ」を想い起こす時に沸き起こる「何とも言えない愛おしさ」です。

想えば、わが子も10歳くらいまでは良かったのですが、10歳を過ぎて次第に「一人の人物」へと変わっていくと、いったいあの可愛かったわが子は何処へ行ってしまったのだろうと幸せの時が過ぎ去ってしまったことに空しさを感じてきます。

「パパ」や「とうちゃん」という呼ばれ方から、「おやじ」「じじい」とかへ いつの間にか呼ばれ方が変わってしまっているのです。

家庭(子供)第一主義の性格である男にとっては、力の注ぎ場所が再び仕事へと空しく戻っていくのですね~。(遊び相手だった父親は、もう不要となる空しさが訪れる時)

この過ぎ去ってしまった可愛い我子との幸せの日々をもう一度蘇らせてくれるのが、「」という存在なのだろうと私は思っています。

そして、我子が子孫を残してくれるという「昔から変わらない喜び」が続いていくという意味でも、本当の親孝行と云われていることが分かります。

あの情けない頼りのない人間でも「孫」という存在に特別な感情を抱かせられるのは、もしかしたら生物のDNAに備わっている「種の保存」に湧きたてられているのかもしれませんね~

なにはともあれ私に「」ができた時、本当のことが解るのでしょう。

皆が皆、「孫は可愛いよ~!」と言っている「本当の意味」が・・