全ての人に「明日も生きている」という保証はない!と痛感する記




あなたは、明日も生きているという保証を持っていますか? 無事に一日を終え、いつもの通りにベッドで眠りにつけるという確かなシナリオが明日もあると思いますか?

平成から令和になって、毎日なにかしら悲惨な事故や事件が目立って沢山起きている様な、そんな印象にさせられます。不意をつくような事故や事件が多いのですが、そこに居合わせてしまった人にとっては何とも無念な出来事、不運としかいえません。

毎日起こる事故や事件のニュースを目にします。それが運よく自分が巻き込まれる出来事ではなかったというだけで、明日の起こる出来事に自分は入っていないとは言えません

昨日までは普段通りに過ごしていたのに、翌日には突然自分に起こってしまう事故事件によって、この人生の終止符を打たれてしまうのです。

みんな明日があると思っています。それが当たり前なことです。

また、自分に今日、不幸な出来事が起きるなんて思うはずもありません。

でも、この世界は危険な出来事が常に毎日起きているのです。そして、それはいつどこで我身に起こるのかも分からないのです。

夏では海や川で溺れてしまう不慮の事故ですが、自宅の浴室でも溺れてしまう場合もあります。突然の病気では、くも膜下出血や心筋梗塞で終わりになってしまう人もいます。

車を運転する人は交通事故のリスク、歩いて横断歩道を渡る人でさえ車が突っ込んで来る場合もありますし、バスや飛行機も事故に巻き込まれることもあり、電車に乗っている人も脱線事故で多くの犠牲者がありました。

また、大震災による津波にも多くの終止符が打たれてしまいました。近年も大雨で土石流が起こって家ごと流されてしまう場合もあり、火山噴火によっても犠牲者を出すのです。

さらに人による被害も危険です。社会や自分の立場に不満をつのらせた者が、無差別に一般人を戒めるテロの様な事件。先日の事務所ビル放火事件でも、平成史上最大の犠牲者数を出してしまいました。

この様々な事故事件をニュースで知らされた時は、「この世は、明日の命も判らないものだなぁ!」と痛感させられます。

このように、様々に引き起こる毎日の事故や事件に遭遇せず、自分の体に長く居られること(長生きしていること)は、本当に運が良いことなのだと痛感するのです!

家の外からは、救急車の音や消防車の音が よく聞こえてきませんか? 

この広い世界では多くの人が生活していますが、毎日どこかで救急車や消防車を呼んでいます。でも、その時は自分のことではなく外から(他人事に)ただ聞こえるだけです。

いつかそのうち自分の番が来るかもしれませんが、今は分かりません。

私は長い年月を運よく生きてこれましたが、「自分には決して起こらない、人ごとだとばかり思っていた病気」に見舞われました。それはある時に突然起こるのでした。

すべての事故や事件、身に起こる病気は、予期せず突然に降り注ぐ様に起きるのです!

最近は天候による災害も、次々に記録更新が目立ってきている気がします。地球温暖化が影響をしているのかは分かりませんが、私の子供の頃とは違い、夏は気温が高過ぎるし大雨の時の量も多すぎていると思います。

人間の便利な世界に変わっていくと、自然がおかしくなってしまうのかもしれません。文明発展と技術進歩から二酸化炭素が増えていくと、自らを苦しめてしまう結果へ向かうことになりそうです。

どんなに生き長らえる人であっても、いつかは終止符を打たれる時が訪れます。

しかし、この長い長い年月の間に様々に起こる事故にも事件にも、致命的な病気にも 逃れることができ、または巻き込まれず命を保ってこれたことは、本当に凄い幸運なことです!

どんなに筋肉で鍛えている肉体でも、人間の体は鋼鉄みたいに強くありませんし、本当に弱いものです。病気という内側からの攻めや、重く大きな硬いものなど外からの圧迫などですぐに息を奪われてしまうのです。

 

 

明日の無事は、誰にも判らない、何かが身に起こることも予想できないのです。

自宅に居ても、外へ出かけても、どこに居ても 終止符は突然 打たれるものです。生身の体にいるかぎり、どこにも安全な場所はありません。(まるで昔の映画「ファイナル・デスティネーション」みたいで怖いですが・・)

なかなか その一日を「無事に帰ってこれて良かった!」と思うことは日ごろしないでしょうけど、朝目覚めてから今日も無事に帰って来れたのは、「今日も運が良かった」という証拠です。

明日が普通にやってくる という人は とても 運が良い 幸運なことだと考えると 

今日も無事に終えたことに、ありがたいことだと 思えるでしょう!

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ただし、明日のことは 保証もなく 何が起こるか それは 誰にも わかりません・・