人は自分の安全を守るために「正義の心」を貫くことができないのが常




人は、たとえそれが正しくない事だと知っていても、今現状にある自分の立場や安全を守るために「正義」を貫くことはできないのが常です。

人は誰でも自分や自分の家族が一番に大切です。今の生活を守っていくためには、それがたとえ間違っていることと分っていても「正義心」を自制してしまうわけです。

今のトップの中に自分や家族を犠牲にしてまで「正義」を貫くことができる人がいるでしょうか?

今回は、あるTVドラマから痛感させられた「正義の志」についての思いを綴っておきたいと思います。

今年秋に放送が始まったTVドラマ「日本沈没」の中で、主人公の正義感ある人間性に非常に感銘を受けるものでした。

この主人公である一人の青年が国民の安全のために立ち上がる姿は、正に「正義の志」そのものであり、決して自分の立場や安泰を考えて行動しているわけではありませんでした。

それに比べて近年騒動になっている今の我が国でも、真実を伏せてしまう様なトップの集まりになっているのではないのかと思えてしまうのです・・

理性のある人間ならば、「本当の事・真実」を伏せ隠して己の心が揺れないはずはありません。

真実(正しいもの)は多数決で決まるものなのか・・

遠い遠い昔から、人は勝ったものが正しいものとなってきました。

戦争も勝ったものが主権を握ることができます。

たとえそれが間違っているものだとしても、主権を取ったものが正しいことになってしまうのです。

選挙も多数決で勝利が決まり、悪徳政治家だとしても投票数が多ければ「選ばれた正しい人」とされてしまうのです。

本当に選ばれた人とは、100人中100人に投票されることが理想であり、52人で過半数超えたから当選したというのには「真の当選」という感じがしません。

これは知人から耳にしたことですが、あの東日本大震災の時に命拾いした体験者によると、みんな多くの人たちが逃げる方向に一緒に行かなかったことにより逆に助かったという話があります。

これは、多くの人たちに連なって向かう方向が必ずしも正しい結果とはいえないという事なのです!多くのみんながやっているから「それが正しい事」とは限らないのです。

僅かな意見しかないから間違っているというわけではなく、多くの数だから正しいことだとはいえないわけです。

自分の安泰を捨てても「正義」を貫く人は稀

長い年月を生き永らえていると、それはそれは様々な問題や選択に遭遇するものです。

子供の頃には素直で正直だった心も、成長していくにつれ段々と「道徳的にも悪いこと」も覚えていきます。

「本当の事を言ってはダメだよ!」「それ(真実)は言わない方が良いんだよ!」など、たとえそれが悪い事と知っていても正直に言わないということを覚えてしまったのです。

中にはそれでも「真実」を胸にしまっておけず、正義を貫ける志を持った人は稀にいるかもしれません。

しかし、それは所詮「多勢に無勢」 

いくらそれが「正しいこと」だとしても、大多数のもの(勢力)には押し潰されてしまうことが多いのです。

そこには「誠の真実」はなく、多数によって作られた「真ではない正当」ができてしまうことになります。

誠ではない正当が作られてしまった時、もはや「本当の真実」などは意味の無いことになるでしょう。

「正義の志」を貫いて生きた者には、今生に残した後悔は全く表れない

一種の動物である人間は、所詮 己の身を保つために安全を選ぶのが当然なことであり、多くの者は他人よりも自分の立場や安泰を優先に考えるのが当たり前です。

自分のことよりも先に相手のことを思うという人は、本当に少ないでしょう。まずは自分の安全を先に考えるのが当たり前だからです。

ただし、正しくない事をやった経験は心にずっと残るもの。普段自分では忘れている様でも、(良い事をやったことも悪いことをやったことも)全て心の中に記録となって刻まれています。

今のこの体で永遠にこの世界に居られるわけではない私たちそれぞれ、あの時に「正しくはない事」と知りつつ「正義」を行えなかったことは、身体の終わり時に今生の後悔として表れてしまうでしょう。

この身を脱いだ時・心(魂)だけになった時、そこに刻まれた記録の全てが抜け出るからなのです。それはまるで壊れたパソコン本体から抜き出された、記憶データ(SDカード等)に例えられます。

「間違っている事は間違っている!」や「それは正しい事ではない!」と、自分の立場や安泰を放ってまで「正義」の行いを貫いた人にとって、今生での後悔は一切浮かび上がることないでしょう。

「間違っていること」「正しいこと」を隠すのではなく、「正しい(真実の)行い」で常に生きていくことによって己の今生を後悔なく堂々と終えることができるのでしょう。

これは特に民衆のトップに立っているリーダーたちに、是非この「正義の志」を持って国民を支えていってもらいたいと希望していることなのです。

 


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