令和大雨台風で荒川も危なかった!越水まで1mだった箇所を知った記

関東や東北、長野を大きな水害を残して去っていった令和台風19号。東日本のほとんどの河川を満杯にさせ、甚大な水害をもたらしました。1級河川の荒川も心配されましたが、ぎりぎりのところで難を逃れることができました。

私もこの大雨台風の夜は、本当に心配で寝ることもできなく、とにかく荒川の氾濫や越水による水害が怖かったのでした。

冒頭の写真はこの台風の2日後に荒川堤防へ訪ねた時のものですが、よく見ると、前方に見える数本の木の上部に流れて引っ掛かかっている藁くずの様なものが見えます。

高い位置に引っかかっていることを考えると、あの高さまで水位が昇っていたということに気が付きます。

土手の階段を掃除していた係員の方に話を伺うと、もう少し上流にいったある箇所には水位を示す跡が、更に高い位置になっていたということを聞きました。

そこは「越水まで残り1m」という形跡があったということで、本当に危なかったのだと知ったのです!

上の画像はここの川のものではありませんが、ほとんどの河川流域はこの様な浸水状態になっていたことでしょう。荒川河川敷のゴルフ場やグラウンド、サッカー場も濁流の泥に侵されてしまいました。

前回の台風対策では、強風ばかりを気にしていた人が多かったと思いますが、今回の台風は予想に反する大雨台風だったのです!

河川による水害の被害者も多く甚大で、家屋や車の浸水被害は2011年の東日本大震災の時を越してしまう程になってしまったでしょう。

埼玉県は比較的安全な県だと思われていたでしょうけど、今回は越辺川と都幾川などの河川が何か所も氾濫して大きく被害を受けてしまいました。

県の中央部でも低い土地では水が流れ集まり、道路も冠水してしまった箇所が多かったのです。

荒川の氾濫についての歴史を調べてみると、1742年の記録から始まり 明治43年の利根川ともに氾濫した大きな出来事や、昭和22年のキャスリーン台風、平成11年と19年でも大雨による洪水が発生したと記録されていました。

こうした歴史から荒川の洪水に対する政策も行われて、今では荒川下流区に広大な調節池や地下神殿を設けるようになり、人口密集地の大都市を守っているのです!

下の画像は以前訪問した時に撮ったものですが、荒川の水位が上がる度に幾度となく冠水、倒壊していた熊谷にあった冠水橋「久下橋」の碑です。

平成時代に新しい立派な橋ができて、すでに現在は橋はありませんが、右側に立っている水位柱みたいな箇所に橋があったようです。

鴻巣方面の堤防に訪問してみますと、すでに川の水は遠くに見える本流に収まっていましたが、コスモス畑があったらしい場所は濁流に飲まれた跡がありました。

そして、降りていく道の手すりには濁流に流されていた藁くずが水位を示していました。

緑の枠は荒川本流で、オレンジ枠が濁流の水位を示す藁くずだと思われます。コスモス畑には濁水が残っており全水没してしまっている様でした。ここでは土手の上まで2.5~3.0mという感じでした。

さすがに日本一の川幅(2.5km)を誇る鴻巣地域でも、あと少しで堤防を越水してしまったかもしれません!

昭和の時代に越水や氾濫したと聞いた箇所に行ってみました。今回の大雨台風によって再びこの場所で起こってしまったならば、こうなってしまったのかもしれません。(下図)

現在の状態を画像加工したものですが、右側が満杯となって流れる荒川の濁流で、左側が住宅や街がある側ですが荒川の堤防を越えて濁流が越水してしまうと各地と同様に、大変な水害となるに違いありません!

残すところ今回あと1mしかなかったと聞いた時には、本当に背筋がゾーっとしたのです。

この度の水害に遭ってしまった方々には、今盛り上がっているラグビーWPなどのスポーツ番組や、バラエティ番組などを楽しむどころではありません!

東日本大震災と同じくらいの、こんな大災害が起こってしまったにもかかわらず、何もなかった様に今まで通りに普通の番組を放送している気持ちが分かりませんが、自分の家が被害にあったならばを身に染みて考えていくべきだと思います。

平成の大震災の時の様に、暫くの番組自粛放送は今回されていませんでしたが、本来は「大災害」扱いとして同じようにすべきだったのではと私は思いました。

*   *   *

おしまいに

今回の令和大雨台風被害に遭われてしまった方々のご冥福と、早期の復興を真に祈り願うものであります。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする