つい最近の事、遠い昔の頃の不思議な出来事を体験した当時の夢を見て、思い出したことがありました。
それは私がまだ小学生で、初めて新品の自転車を買ってもらい大変喜んであちこちに走り回っていた頃のことです。
ある日、急いで学校から帰り自転車を出して乗ろうとすると、何故かペダルが空回りしてタイヤが動かなくなってしまいました。
それは単にチェーンが外れてしまっただけのことでしたが、当時そんなこと子供の私には分かりませんからその自転車が壊れてしまったと思ったのです。
自転車のサドルを抱いた私は「壊れてしまったみたいだ・・ごめんよ~!」と泣きながら真剣に謝っていたのです。できれば生き返ってほしいみたいな気持ちも同時に心に込めながら・・
するとその瞬間、社会に染まって大人になった者にとっては、まったく信じがたいことが起こりました!
突然「ガチャ!」と音がして、その自転車は外れているチェーンを自動的にギアに嵌め直したのです・・(これはけっして自動修復装置が付いている自転車だったわけではありません! というか、そんな自転車は今でもありませんけど・・)
この時この自転車に自分の気持ちが通じて治ってくれたんだと喜んだ私にとっては、そんなには大きな驚きではありませんでしたが、大人社会が作った科学的理論にとっては信じがたいとても不思議なことになるでしょう。
今回の記(題名)とした「人間の秘めた信力は全てを動かせる力を持つ」は、前記のこの遠い昔の実体験により綴っておこうと思いついたものです。
今回の記は少し非科学的なものに思えるかもしれませんので、手のひらの真ん中辺りに十字の手相がある人のみの限定でお付き合いしていただけたらと思います。(この手相のある人ならば、最後までお付き合いして頂けると思われますので・・)
既に半世紀以上の人生を生き長らえていると、実に様々な体験・経験をさせられるものです。
良いこともあり、悪いこともあり、それを経験し様々な現実を体感してきました。
幼い時は何も書かれていないホワイトボードと同じですので、見たり聞いたりするもの全てを信じますが、やがて集団の中へ入って様々な周囲の影響を受けてしまうと幼い時の純粋さを失っていくものです。
特に人間という生物は頭脳は極めて優れているものの、他の生物よりも格段に卑しい性質を持っている存在です。
自らの子孫や住処を守るため、または食べるために他の生命を奪うという生物の致し方ない基本的な行いだけでなく、人間はそれ以外の意味のない欲望のためだけの殺傷も起こしてしまう愚かな生物となっています。(権力者の欲望だけで始めてしまう自分勝手で非道徳的な戦争など)
不思議なことに思えますが(できるかできないかは別として)、それは現実的に確実にあるといえます。人間の科学では解明できないこと、進歩した現代でも証明がつかないことがそうです。
しかし、気づいている僅かな人たちは、この地球上で唯一人間だけが持つことができるものを知っています。しかし、純粋さを失ってしまった大人にとって、それは極めて難しいことでもあります。
目には決して見えない存在や力、今は証明できるものではありませんが実際にあるということを私は信じています。
「強き信念、岩をも通す(一念岩をも通す)」という意味の物語があります。中国の昔話ですが、虎にやられた親の仇を打とうと放った一本の矢が虎の姿に似た岩に刺さった物語ですが、この真剣な信念の力は科学では解明できない何か不思議なものを示しているものだと思うのです。
まだ秘められた人間の持つ力ははっきりと分かってはいませんが、そのヒントが昔の映画の中にもありました。
1978年に大ヒットして新編も次々に製作された「スターウォーズ」シリーズの中で、ヨーダというジェダイマスターが若きルーク・スカイウォーカーを鍛える場面があります。
沼に沈んだ大きな戦闘機を「フォース(信念の力)」で浮き上がらせてみなさいという場面ですが、まだ未熟なルークにはできませんでした。
「あんなの大きすぎて浮き上がらせることなんて無理ですよ!」とルークが言いますが、その時にヨーダが言った言葉は、「大きい小さいは関係がないんじゃよ!わしは小さいからって弱いかい?」
「信じる心が大きな力となるんじゃ・・」と言うと、ヨーダは自らフォースの力で戦闘機を浮き上がらせ見せたのでした。
それを見たルークは一言「沼底に沈んでいたこんな大きなものが・・・信じられません!・・」
そしてヨーダの一言「だから失敗するんじゃよ・・」
という、このシーンは人間の秘めたる力の大きなヒントを持っていると感じるのです。
虎の姿に似た岩へ矢を突き刺したという物語も、自転車のギアチエーンが自然に治ったという現象も、科学的に確率的にいえば到底無理なことですが、たまたま偶然に起こった事でしょうか・・?
何かそこには人間が染まっている概念を超えたものがあるのだと思えます。
2000年代になってすぐアメリカから世界中へベストセラーになった「ザ・シークレット」という本がありました。(「引き寄せの法則」はきっと知っている方も多いでしょう)
人間の秘めたる力、願望を叶える思いの力によって人生を変えることができるという内容でしたが、それを常に実行し信じ続けることは夢のような話で非常に厳しいものでした。
しかし、この秘法は全くの嘘だったわけではなく真実のことなのですが持続が極めて難しいゆえに、ほとんどの人間には無理があり単に一時期のブームとなって薄まった感じでした(私も同じに)。
結局この本の示すことは、常にポジティブな考えだけで生きることが自分の希望へと繋がるという意味だったのでしょうけれど、いつも(常に)いつまでもポジティブな考えでいられることなんて誰にでもできることではありません。
幼い子供のうちは何でも言われたことを信じますので唯一可能かもしれませんが、しだいに集団社会へ飲み込まれて成長していくと目に見えることだけしか信じられない大人の人間へと変わり、秘められた力を使えなくなってしまうのです・・。
大昔から人間が作った数々の宗教の中に、「強い信念」を持つことを真髄としているものがあります。
自然界には目には見えない秘められた力が働いて様々な現象を起こしているとなれば、優れた人間といえども未だに科学的に証明ができないことも沢山あるということです。
「虫の知らせ」や「噂をすれば・・」など、それが果たして何かは分からないが何故か感じることができるというのは現実的にあるわけです。
岩に突き刺さった矢も、自転車のチェーンが自然に直ったことも科学的に解明できることではないでしょうけれども、人間の概念を超えた目に見えない何かの力はあるのだと思えます。
信力(信じる力)は、物を動かす力(サイコキネシス)や見通す力、テレパシーなどの力も出せるのだと思いますが、全ての流れ(運命)さえも変えていけるのかもしれません。
ジェダイのフォースの様に大きい小さいは関係なく、信じる力(信念)の強さが究極の秘法を決めるのです!(ルークの様に信じられないという気持ちがあるならば、当然に信力は出ないのです・・)
前例の様に、人間にはまだ科学では解明できない秘められた力があるのだと確信しています。
その力は、前に述べた様に全てを動かせるほどの力を持っているにもかかわらず、極めて難しいのです。完全なる信をもって、微塵も疑う事のない究極の信念が不可欠なのです。
この究極ができるならば、停まっている大型トラックでさえ動かせることができるかもしれませんし、たくさん溜まった支払請求書も消化できるかもしれません!
私は今生のお土産に、この極めて難しい「信の力」を是非とも手に入れたいと思い生き永らえているものであります。
完–