1995年に出版され、アメリカはもとより多くの国で売れた小説「Conversations with God・神様との会話」は、ニール・ドナルド・ウォルシュ著者の実際の体験から書かれたものとあります。
また2006年には、この第一巻の小説を映画化されており(日本では上映されなかった様ですが)、最近になって無料動画サイト(YouTube)でフルに観られるようになっていましたので、一度観てみることにしました。
そして物語を観た後の感想としては、(それが真実なのか妄想なのかは別として・・)ここで語られていることは抽象的ではありますが、たしかに頷ける(共感できる)言葉もあったのです。
そこで今回は、この物語を振り返りながら「神様って?」を 一般的に無宗教の観点から(宗教的なもの等とは捉えずに)考え、思えることを綴っておきたいと思います。
まずは、この小説・映画の物語(あらすじ)を簡単に振り返ってみましょう。
物語は1990年から始まります。著者である主人公(ニール・ドナルド・ウォルシュ)は、ある日 ふとしたきっかけで交通事故に遭い、首の骨折をしてしまいます。
そして彼はこれをきっかけに職を失い、住んでいたアパートも追い出されてしまうのでした。田舎に戻っても家には顔を出せず、家の物置からキャンプテントを出して雨の降る夜中を歩き続け、とあるキャンプ場にたどり着きます。
テントを張って寝た翌朝、ニールはキャンプ場の仕切屋に起こされると、ここに暮らすホームレスたちのルールを告げられました。ニールは職が見つかったらすぐに出て行くつもりでしたが、首にコルセットをしている姿では誰も雇ってはくれません。
仕方なく彼はホームレスとなり、町のゴミを漁る日々が続くのでした。ニールは捨てられていたハンバーガーを食べているところを子供に見られ、今の情けない自分の姿に涙を出すしかなかった。
街がイルミネーションで飾られ華やかになっているクリスマスの時期、それを他人事に感じたニールは「こんなところでこのまま死なないぞ!いつかきっと・・」と決意するのだった。
ある日、新聞の求人欄で経験のあるラジオ局の募集を見かけたニールは、すぐに連絡し応募することになった。キャンプ場の仲間らの応援もあって、無事に採用を獲得できたニールは、同僚の女性リオーラとも打ち解けて張り切っていました。
しかし、それもつかの間のこと。せっかく勤め先を得て、キャンプ場からアパートに変えられた途端、ラジオ局は倒産。ニールは失意のどん底に落ちてしまいました。
もうどうしたら良いか分からなくなったニールは、まさに脱力感しかなく寝るしかなかった。
そんな時に、どこからか声が聞こえてきます。これは幻聴なのか真実なのか、いったい誰なのか・・
その声の人物は、けっして自分で神様とは言ってはいないが、ニールはその声とその語る言葉をノートに書いていきました。しかもその声は、一晩中寝る暇もなく聞こえてくるのでした。
ニールは、その声が語ること全てを書き留めていった。来る日も来る日も・・
そしていつしかニールは、なぜかその聞こえてくる声と会話ができるようになっていたのである。
「ニール、あなたは私、私はあなた自身である・・」「生活のために生きるのではなく、生まれてきた目的のために生きるのだ・・」
ある時、ニールを心配していた同僚の女性リオーラが訪ねてきました。彼女はそのニールの書き留めたノートを読むと、とても感銘を受けるのでした。
「なぜか聞こえてくる声の書き取りが終わらないんだよ!」「僕はこの声をみんなに伝えたく、これを本にしようと思うんだ!」
リオーラの応援で原稿を纏めて出版社に送ったが、その返事は良いものではありませんでした。しかし、ニールはどうしてもみんなに伝えるべき声だと、もう一度出版社へ送り返します。少しでも読んでみろと・・
すると数日後、出版社から電話が入りました。それはニールを著者として呼ぶ、出版社の編集長からだったのです!
当初5000部刷ったその本は、やがて全米に広まり2万部を越していきました。そしてニールとリオーラは、各書店を廻って読者からのエールを受けるようになりました。
この快進撃の本に、大手の有名出版会社が契約を結びたいと申し出が入りました。そして最終契約金は、ニールが夢にも思わない億万長者の金額となったのです!
リオーラに感謝の手付金を渡した後、ニールはお世話になったキャンプ場へ向かいましたが、そこはすでに閉鎖となって売り出されていたのです。ニールは誰も居なくなったキャンプ場を歩き、どん底だったあの頃を想うのでした。
1995年冬、すっかり有名な作家となったニールはある書店の公演で、一人の読者から質問を受けます。
「もし本当に神様がいるなら、なぜ私から最愛の息子を奪って不幸にさせるのでしょうか?」
ニールは最初 言葉に詰まったが、間もなく口に出た言葉は「息子さんは、この世に来た役目を果たしましたよ」と伝え、その質問したご婦人を抱き受けとめるのでした。
公演を終えて車に乗ったニールは、ふと横を見るとホームレスだった時の自分の姿を見かけるのです。そして車から降り、その姿を追うのだった。
それは懐かしい苦しかったあの頃の(まだ首にコルセットを付けていた)自分の姿でした。
声が聞こえます。「私は常に一緒に居ます。私は貴方であり、貴方は私を創造するのだから・・」
< 完 >
大昔から人はみんな、子供の頃から自然に「神様」っていう言葉を知るようになっています。この地球上に生きている全ての人間には、いろいろな宗教的神様が創造されていますが、なぜか無宗教の人でも「神様」という言葉だけは知っているものです。(無宗教の人でも突然に身の危険が迫ると神様という言葉が出たりします・・)
キリスト教やユダヤ教、仏教やヒンズー教など多くの宗教は何か特定の存在を神様としているようですが、この物語では神様を特定の存在とはしていなく、自身の中にいる様なことを言っていました。
著書のニールが実際に体験した、姿の無い声は幻聴だという(作り話)人もいるでしょうけれども、説かれて癒された人の方が多かったから世界中で読まれるヒット作になったのでしょう!
私も物語の最初はだらだらとした感じに思えましたが、主人公ニールがどん底のホームレス生活になり苦しい思いを強いられたくらいから興味深くなってきて、眠たさがなくなりました。
なかなか浮浪者から抜け出せないニールでしたが、それでも生きる志を持っていることはとても感銘を受けるものでした。(もし自分ならダメだったかも・・とか考えて)
運が無い様にみえても、実は自分の中の自分は応援しているのかもしれないと思いました!しかし、それには主人公みたいに「いつか.きっと!」という強い志が必要なのでしょう!
「生活のために(生きるために)生きるのではなく、生まれた目的のために生きるのだ」と、この物語の終盤でその声が言っていました。
自分が生まれてきた目的は何か、裕福な生活をすることなのでしょうか?
嫌なことをやっても長生きすることが、生まれてきた目的ではないはずで、自分の希望や目的のために生きるべきであるということを、その声は諭していました。
物語に出てくるその声が最終的に語ったことは、自分の中に本当の自分(神様)がいて「その志を応援し導いてくれる」という最大の答えを示していた気がするのです。それはつまり、神様は自分の中にいるという意味になるのでしょう!(これは無宗教の人としても)
「この世界になるべく長く生き続けることが目的ではなく、長くも短くもこの世に生まれた目的のために生きる!」この志が自分を導いてくれるのでしょう!
とは言っても上の様なことは理想的であり、実際には(現実的には)難しいことなのでしょうけれども、それでも私がこの著者ニールの体験小説・映画「神様との会話 カンバセーション・ウィズ・ゴッド」を観て共感(+納得)させられた言葉は、このようなことだったのです。
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自分の人生について何か悩んでいる時に暇があれば、この小説・映画を観てみるのも良いでしょう。