今想う「バタフライ効果」の様に、あの時・・
先日の夜のこと、湯船につかって「あ~!いい湯だ~」と呟いた時
ふと突然、頭に浮かんできたものがあった・・
「あの時、ああしてれば今の私はここには居ないだろう!」と・・。
今から46年も前のこと、
私は思春期まっさかりの歳ごろで、男同士の兄弟とは
時に激しい喧嘩をすることもあったものです。
大人になってから、自分の方が身勝手な考えだったと気付くものだが、
思春期の歳ごろには当然気づくことはできないものである。
幼い時から大変可愛がって育ててくれ、一緒に暮らしていた
お祖母ちゃんに対しても、今では考えられないほどの態度をとって
しまっていた。
まさに、私の息子や娘の思春期の様に親に向かっての態度が淋かった様に。
当時、毎夜集中して受験勉強に取り組んでいたにもかかわらず、
中山道から聞こえる激しい音、暴走族のオートバイの騒音である。
その激しい騒音に怒りを募らせていた私は、通りの歩道橋の上から
その暴走族やっつけたいと思っていたのです。
そこで、やっつけるための様々な道具を考えていたのですが、
しかし、それを兄弟ゲンカに持ちこんでしまう時もありました。
ある夜のこと、お祖母ちゃんが兄弟の盾になった時がありました。
「やるなら、あたしをやれ!」と。
「あの時、やってしまっていたら、その後いったいどうなっていたのだろう?」
私のその後の人生は、大きく変わっていったはずです・・・・・
少年刑務所へ送られることになり、家族は世間体を考え
あの住んでいた家から引っ越していたでしょう。
当然に大学入学はできず、大学時に住んでいた所にも引っ越してはおらず
就職先もまったく違っているでしょう。
そうなれば、出逢う人々もまったく変わっていくので
配偶者や子供達も、すべて違う名前の人物だったでしょう。
そしてまた、今この時この場所には住んで居ないことになるのです・・。
自分の立場や移り住む場所によって、行動範囲は変わるものです。
行動範囲が変われば、出逢う人達も当然に変わってしまいます。
出逢う人によって、ぞの後も大きく違ってくるのです。
その昔に「バタフライ・エフェクト」という映画がありました。
まさに、その一つの出来事が、その後の人生を大きく変えてしまうという
僅か紙一重の違いが大きな影響を及ぼすことをシナリオ化しているものでした。
これを「押すか、押さないか」だけの違いで
その後の人生物語が大きく変わっていくのです。
運命の分かれ道、自分の「あの時」を思い起こして考えてみて下さい・・
「あの時、こうしていたら、その後どうなっていただろう? そして今は?」
あの時に別の行動や違う方を選んでいたら、今とは全く違う人生だったでしょうか・・
本当に一瞬の判断で、その後を大きく左右していた出来事
そういう「あの時!」というものは、誰にでも思いつくはずです・・
現実では時間の取り戻しはできませんので、今いる自分の現状が本当のこと
なのですが、「あの時の自分の一瞬の選択」は良かったのか悪かったのか
自分にしか評価はできないものですけど・・