【終わり良ければ全て良し!】 たとえ苦労や失敗、貧乏や障害であっても 最後が一番!
そう、物語は最後が一番肝心! だと思います。
映画でもドラマでも、必ず最後・結末には「めでたし.めでたし・・」と
すっきりとした完結で締められているのが ほとんどです。
中途半端な終わり方は、誰が観ても結末の感動を残せないものです~
人生も最後は「ハッピーエンド」が 自分も周りも一番良いはずなのです。
1億人の人には、1億通りの人生物語があります。
万人全て皆違う人生であり、似たような生き方はあっても 全く同じ人生はありません。
生まれた時代、生まれた国、生まれた家、家族、兄弟 すべて違います。
今まで何千年の間の中で、生まれてそして逝った人々全てみんな違う人生物語ですから これはとても凄いことで、その物語は天文学的な物語数となるのでしょう!
でも、母のお腹から出てくる生まれ方はみんな同じですが、その人生の終わり方は様々です。
稀に 事故で同時に同じ終わり方を迎えてしまうパターンがあります。
大きな津波や大勢の人が乗る飛行機や船、バスなどの事故がそうです。
逝かなければならないその時は、たとえ「明日やる事」「来週の約束」「来月の予定」
などがあっても、もう できなくなってしまいます。
やり残した事となってしまうわけですから、本人にとっては「心残り」になるでしょう。
それは予期せぬ突然の事ですから、どうしようもありません。
生まれて間もなく終わりを迎える赤ちゃんや、成人になる前に終わる人生の子供たち
親よりも先に逝かざる負えなかった息子や娘、親がすぐに亡くなってしまう子供たち
無差別に命を奪われてしまった善良な人々、たまたまその時その場所に居て事故に巻き込まれてしまった人たち
もしも神様という偉大な存在がいたならば、みんな「よくも無情なことを!」と訴えたいことでしょう。
この世の中(宇宙)で全ての生物の体は本当に合理的にできていますが、この「誕生と終わり方」については
どうも合理的にはできていないようで、非常に残念なことに思えます。
様々なニュースやTV番組を観ていると、多くの人たちの人生が見えてきますね~
若いころから事業を立ち上げて成功して有名になっている人や、中高年になって芽が出る人
長年優秀な人物として生活してきたが、老いて人生の終わり近くになって「どん底境涯」に陥る人
それまでの人生生活が どんなに良いものであったとしても、「お終いが悪ければ.全て台無し」に思えてしまいます。
まるで昔話の「ウサギとカメ」の様ですが、どんなに遅くても どんなに失敗しても
最後に「成功感と満足感」に自分が包まれる人生を得られたならば、今までのすべて
失敗や挫折、失望の経験は、意味のあった出来事に変わるのでしょう!
そうです。今は負けたり失敗したりの状態であったとしても
最後に良い状態になっているならば、それでいいのですから!
最後が良ければ、今はいいのです。今は仕方ないと思えるのです。
それまで良かった恵まれていた生活が、しだいに悪くなってお終いになってしまう「締めくくりの悪い人生物語」の様に
今まで積み上げてきたものが、「すべて水の泡」になる最後だけは迎えたくないものです。
実際にそういう人生もたくさんありますからね~・・
人生、長いようで短い。人生、短いようで長い。
どちらの言葉も合っていると思います。
私もこの歳になるまで様々な「人生舞台」を体験し、1つの人生にもかかわらず「幾度の人生」も味わった様な想いです。
これだけ様々な舞台体験を持つと、今までの人生がとても長いものだと感じますが、逆に今時点では「あっという間」の出来事でも思え、短かったとも思えるのです。
大きな失敗もありませんでしたが、その代わりに大きな成功も経験がありません。
想えば嫌な経験も沢山ありましたが、楽しかったことも沢山思い出します。
歳を取って高齢者になった時はみんな、今までの自分の経験を振り返る時があるでしょう。
自分の終わり方や終わる時も、既にもう決まっているのかもしれませんけれども
「終わり良ければ総て良し」という言葉通りに逝ける様に願うばかりです。