原爆使用は反対でもミサイル等の戦争兵器は反対しないのか?と思う記




太平洋戦争から80年以上の月日が経ち、当時の体験を語れる人も今は僅かになってしまいました。当時に赤ん坊や幼児でははっきりと覚えていることはないでしょうけれど、小学生なら記憶は少し残っているかもしれません。敗戦を決定ずけたあの原爆被害の広島と長崎の県民なら尚更。

広島へは私も過去に修学旅行と家族旅行で2度ほど訪れたことがありますが、あの原爆ドームは人類の過ちを記すためにも残しておいて良かったと思います。人類が開発した技術を堕落のために使用した過ちを世界中に知らせるためにも・・

発明は人類にとって素晴らしいことではありますが、戦争のための技術開発は究極の惨事を自ら被られることにもなりかねないのです。

今では当時の破壊力以上の核兵器を競うように大量に作ってしまったことで、もうすでに人類はこの地球でさえ破壊できる量の原爆を持っているわけですから・・全くどうしようもありません。

大戦後に原爆の威力を知った人類は、80年の間を抑止力として所持しているだけで使ってはいませんが、ロシアの様に脅す言葉に使われてしまいました。(もしもロシアが無くなるのならば、その時には地球も無くなる時だとさえ思っているのでしょう!)

原爆を反対だとか使ってはいけないのは当然のこととしても、他の長距離ミサイル爆弾や榴弾砲などは規模が小さいとはいえ何発も放ってれば街を破壊することができるので、結果的にそれと同じことのように思えます。

原爆だろうとミサイルだろうと、町を破壊したり人々に被害を与えたりすることには何の変りもないのです。

人類の作った戦争の道具はすべてダブーの物であり、威力や大きさに関係はないと思うのです。

人類はその大昔から争い・戦いを繰り返してきました。そして知恵を使って狩猟や戦いのために武器を考えて作り出し、その技術は少しづつ進化を続けやがて究極の原爆まで開発しました。

技術の進化は戦いの進化と共に進んでいったのです。そして人類は原子や中性子、電子を発見したことによって更に宇宙の仕組みの一つまで利用することができる領域までいったわけです。

人類同士、人種同士、同じ民族同士にもかかわらず、資源や領土の奪い合い争いで生き残りをかけている全く致し方無い存在となってしまいました。

戦いの歴史が繰り返され、人類はさらに新しい兵器を開発していったのです。こん棒から弓矢、槍や刀剣、鉄砲から大砲、プロペラ機からジェット機、戦闘車両から戦車など。そして今や直接戦うことなく遠隔操作のドローン無人機で、ゲーム感覚のように罪悪感もなにもない殺戮行為になっているわけです。

また現代はAIの発展から益々戦闘兵器もより進化しており、やがてロボット同士の戦争までへ変わっていくのかもしれません。まさにスターウォーズと同じ感じです。

AIを作った人類は、このまま自業自得のしっぺ返しを食らうことにならなければいいのですが・・

我々人類がどんなに知能が優れていても、この小さな地球の中では所詮微生物と同じくらいの大きさでしかありません。この小さな星の中でまるで白血球やマクロファージと同じような小ささの存在で生きているわけです。

この小さな地球の中で、ウクライナ侵略戦争やパレスチナ紛争などで沢山の爆弾を使って地球大地に傷をつけているのを分かっているのでしょうか・・

世界の人々がCO2による地球温暖化を抑制しなければとか言っていますが、今もなお終わらない戦争で放たれている爆弾によって沢山の爆炎と黒煙を発生させているのはどういう理屈になるのでしょうか・・

ロシアが放ったロケット砲や榴弾砲によって穴だらけになっているウクライナの大地を見たことがありますが、何百万発というあれだけの爆弾を使ってどれだけの煙が出たのだろうと思ってしまいます。

近年の世界的な異常気象は大気汚染とは関係ないのでしょうか・・どれだけ爆弾を大地に打っても、地球の環境には関係がないのでしょうか?

紛争や戦争など起きてない遠くの国にいて普段の何気ない生活ができている人にとって、今現在戦争中の人々の生活など分からないと思います。

今や原爆を経験したことのない人がほとんどになっているように、東京大空襲のレベルも同じくらい悲惨な被害で原爆と変わらない酷さだったことも知らない人がほとんどになりました。

このように原爆以外にも沢山の惨い兵器があるわけで、どれなら使ってよいなんて兵器はないと思います。すべての兵器が人類にとってタブーなものだと思うのです・・

数年前ウクライナとロシアの互いの兵士が戦っているドローン映像を観たときは大変ショックを受けたものがありました。対人地雷にかかった兵士が右足を裂断され、その落ちた膝から下の自分の足を拾って塹壕へ逃げる姿がドローンの映像に映っていたのです。まだ二十歳代の若い兵士でした。

日本に落とした大量破壊兵器である原子爆弾は、その恐ろしい威力が分かった以降、抑止力そして最終兵器という意味で持っているのでしょうけれども、精神的に幼い地球人が発明してはならないものだったのかもしれません。(幼児がピストルを持つのと同じレベルであるように)

しかし今回80年が経過して思ったことは、原爆は二度と使ってはいけないと世界中の人が思っているのと同じように、全ての戦争兵器も使ってはいけないと思わなければならないのではないでしょうか・・どれをとっても人を傷つけるものなのですから・・

同じ地球人同士が地球の中で争っていることは、家の中で家族同士が争っていると同じなのですから・・広大な宇宙から見てみれば・・地球人のレベルが見られるでしょう・・

 

つづく・・


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