「孫」という存在が、とても可愛いわけ。
「孫がとっても可愛いよ~!」と、年配になったほとんどの方々は言います。
それは歳を取った人間になってから、初めて判るものでした。
若い頃、ましては結婚もしていなく 子供もいない頃は
そんなに可愛いものなのかと 不思議なくらいでしたが・・
わが子が、まだ小さくて可愛いかった頃、
休みとなれば、いろいろな所へ連れて行きましたよね~!
動物園や遊園地、プラネタリウムや博物館へ
わが子が喜ぶ顔を見ると、自分が喜んでいたのでしたね~!
写真もたくさん撮って、アルバムもいっぱいになってました。
しかし、そんな可愛いかったわが子は 次第に大きくなっていきます。
すると親と出かける機会も だんだんに無くなっていきました。
手をつないで歩くことも、「おんぶして~!」と言われることも
無くなってしまうのでした。
思春期になって、気がつけば声も違ってしまって
「あの可愛いかったわが子は、いったい何処へいってしまったのだろう」と。
そして、可愛いわが子との幸せな日々は、すでに当時の写真の中でした。
あの可愛いわが子達は、今では写真の中でしか会えません。
そんな中高年となっていった自分に、起こる感情はひとつでした。
自分に付きまとう、可愛いかったあの頃の子供達との「幸せな日々」の追想です。
ある時、幼いわが子が目にゴミが入ってゴロゴロすると言うので、
水を小さなカップに入れて目に被せ、「はい、パチパチして~」というと
手をパチパチしたのを憶えています。
日常の何気ない事でしたが、そのわが子の”あどけないしぐさ”が愛おしく
想うと胸が詰まりそうにもなるものです。
(記事引用)
子供の成長と共に懐かしむあの頃
ひたすら写真を観て、「子供の成長と共に懐かしむあの頃」がありました。
成長していったわが子は、自分達がそうだった様に やがて年月を越えて
新しい生命を誕生させる日が訪れるのものです。(恒例であれば)
それが、私達の子孫、「孫」という存在なのですね~。
幼く可愛い姿は、まるで 自分を「タイムスリップ」させてくれた感じになるのです~!
あの可愛いかったわが子との幸せの時が、再びやって来てくれたみたいです!
そう、「孫という存在」は、あの幸せだった頃を再び呼び起こしてくれた幸運なのです。
孫を見れる、孫との時間を取れる人は、本当に「お金では得られない」恵みなのです!
自分の孫を見れる生物は、本当に少ないです。
また、人間も「孫」を見れない方々は多いのです。
「孫」という存在が特別なわけ、 若い頃は全然解らなかったですが
自分は、歳を重ねてやっと解ってきたことでした。
「孫」は、可愛かったあの頃のわが子と同じで、あの幸せをもう一度味わしてくれる機会で
「孫」を見れる、一緒に手を繋げることは、本当に有難き恵みに感謝なのです!
まだ体力があった頃と同じように、孫と遊ぶことはできなくなっていますが・・