この世には「守り神といわれる存在」がいるのかどうかを考えてみる記




この住職の体験動画やインタビューを観ていると、人知を超えたその何かに手を差し伸べられるわけ(理由)が何となく分かってきます。

それは、「純粋」「素直」「懸命」「感謝」「信じる心」という姿が浮かんでくるのです。

助けたくなる人と、そうには思えない者・守り神(魂)も人と思いは同じ

近代、技術が発展して大変便利な世の中になってきましたが、何故か人の心は昔から変わらず(それどころか更にはもっと心が卑しくなって)損得で生きる身勝手な人間が昔から全く減っていないのが現実です。

(同じ人間でも、悪い事と分かっているにもかかわらず自分のために人を騙したり盗んだりして迷惑をかけても生きている人がいるわけで、それだけは昔から何故か変わっていないのも不思議です。)

一方で、慈悲深く真面目な人間も少なからず確かにいるので、そこがまだ人間社会の救いになっています。

人は昔から絶体絶命(大ピンチ)の時に「神様助けて~!」と、日頃は信じてない人さえ思ってしまうことがあるでしょう!

科学では解明できない・人知を超えたその何かの力を『神様』と人は名付けていますが、その存在を誰も証明することはできません。

しかし、実際に常識ではありえない不思議な現象が実際に起こっている限り、この次元にこうして生きている人間には考えも及ばない存在があるといえるのです。

些細なことを何十人も全員に起こして同時に遅刻させることができる作用なんて、人の考えも及ばない力ですし、偶然に起きたことだとしても確率的にはとても不可能なことです。

前のページに記した貧しい母子の話で、同じ日に当たる宝くじと万馬券の両方を与えた作用とはどんな力なのか見当もつきません。

住職が神様に宝くじのバラを買えと指示されたにしても、購入場所や時間・くじ券の差し出されるタイミングや買う順番によっては他の人が当たるはずなのですから・・これも人知を超えた作用といえます。

人が想像もできない次元の存在は、上の話の様に我々の生きる流れ(行動・タイミング)いわゆる運さえも操作できる力を持っているのだという事もこれではっきりと分かるのです!

その証明できない存在は懸命に生きる人間の姿を観て、深い慈悲の気持ちで応援や支援をしてくれる守り神(守護神)といわれる人類の考えには及ばない次元の者なのだと考えられます。

貧しいながらも正直に生き抜いている人、目標(夢)に向かって懸命に生きている人、困っている人々に助けの手を常に差し伸べている人、これらの人々を見れば誰でも応援・支援をしてあげたくなるものです。

どうにか助けてあげたい人・そうではない者は、「守り神も生身の人間と同じ思いである」ということなのです・・

守り神」という見えない次元の存在は、信じる人も信じない人も関係なく「懸命な人」には何かしらの手助けをしているのです。

ただし、その人の定め(寿命・シナリオ)の範囲内において・・

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次回の記は➡この世の【得】と【徳】を考える記(信じられる人向け)