平穏で過ごせていることは、むしろ「奇跡」なのかもしれないと思う記




この世の中、世界中で連日のように様々に不運な出来事が起こっています。

ましてや人類は現在、驚異的なウィルスに脅かされており、いつ我が身に降りかかってくるのかも分からず大変不安に駆られている状態です。

そんな大変不安な世界の中で、今日までどうにか無事平穏で過ごせている人は、むしろ「奇跡的なこと」なのかもしれません。

今回は、今日も無事で過ごせたことが「どんなに奇跡的なことであるか」という題で記しておきたいと思います。

今日も平穏無事で終われるかは誰にも分からない!

この世は常に毎日のように、何が・どんな事が 自分や家族の身に降りかかってくるか誰にも予測はできません。

毎日 ニュースを観れば、事件や事故等どこかしらで起こっていることが分かります。そして起こる場所は、いつでもどこにでもあるわけです。

家から出かければ事故や事件に遭遇する可能性が高くなりますが、家に居ても安心はできません。(以前ニュースでもありましたが、隣の工事現場で作業していたクレーン車が倒れてきて、部屋に居た住人が犠牲になってしまった事故もあります。)

想定外の天変地異によっても、身に危険を及ぼされます。2011年、東日本では大きな不運によって多くの犠牲者が出てしまいました。

前の日には普通に暮らしていた人たちは、翌日に恐ろしいことが自分の身に降りかかることなど分かるすべもありませんでした。

毎日の生活では、人はみな「自分は大丈夫だ!」と思って生活しているのが普通であり当然なことです。

しかし、毎日どこかで多かれ少なかれ事件・事故は起きているため、自分の番が来ないとはいえません。

「一瞬の差でその後の運命が大きく変わってしまうこともある!」という記で以前も綴ってありますが、何が起こるかは一秒先でさえ予測はできないのです。

朝出かけて行く時には「行って来ます!」と言いますが、「行って来れない」可能性もあるわけです。人間も動物界と同じく、一歩外は危険を伴うのです。

家から出て歩いていると、常に予測できないことに遭遇する可能性があるわけです。

上から工事中の足場が落ちてきたり、信号待ちで衝突車が突っ込んできたり、駅の階段を踏み外してケガをしてしまったり、電車のホームから落ちてしまったり、乗った電車が脱線転倒事故になったり、電車内に有毒ガスを撒かれたり、会社に着いたとたんに呼び出され早期退職の話をされてしまったりと、本当に朝から何が起こるのか分かりません。

上の例以外にも、それこそ何万通りというたくさんのアクシデントが有りえるのです。

今日も無事に帰れたということは、その何万通りから免れたという幸運な日だったということです!

今日も平穏無事だったことは、むしろ幸運なこと!
「あ~今日も何も無かったなぁ~!」と、部屋に帰って一息つくことがあるでしょう。
それは、「何か良いことが無かった」という意味での溜息なのでしょうけれども、逆に「悪いことも何も無かった」ということは「今日も運が良かった!」ということです。
今日も無事で帰って来れ、温かい湯に入れて夕食も食べることができ、そして布団に寝ることができるという平穏な一日を過ごせたのは、この世に何万通りもある多種多様なアクシデントに何も遭わなかった一つの奇跡とも考えられるのです。

今日も事故や事件、ケガ病気、天変地異など多くの不運から逃れられているということは、「奇跡的な幸運」が今日も続いてくれているということなのです。

誰にも明日の保証はありません。来週の保証もありません。来月の保証もありません。来年の保証もありません。いつアクシデントに見舞われるか逃れられるか全く予想も不可能です。
そう考えれば今日も、今週も、今月も、今年も、平穏で過ごせていることは当然のことではなく、むしろ「奇跡的」幸運が続いている(恵まれている)と思えてくるはずです。

平穏でいられることは決して当たり前なことではなく、奇跡の連続なのだと思えるでしょう!


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