身勝手で無慈悲な犯罪者を許さない!映画「狼よさらば!」を想う記




私が子供の頃だった昭和30~40年代は高度成長期で日本人のほとんどの人がどんどん給与が上がっていった時代だったためか、あまり小賢しい詐欺事件や凶悪な犯罪などは少なかったという印象があります。(まだ世間知らずの子供だったからかもしれませんが・・)

令和の今では年間約70万件の犯罪があり、窃盗事件をトップに詐欺や暴行傷害や横領・そして強盗など相変わらず毎年発生している状態になっているので「日本は治安が良い国とは言えない!」ということははっきりしています。

確かにアメリカやアフリカ諸国等、他の国と比べたらまだマシな治安かもしれませんが、それでも日本人は昔からある「道徳」という学校の教科を学んで育っているはずであり、尚且つ「武士道」や「」の歴史ある国なのですから、他の国民性とは異なっていなければなりません。

遠い昔、日の国と言われていた武士の時代、責任を取って「切腹」という他国には無い心得「武士道」があった日本人、その血を少なからず受け継いでいるはずのDNAを持つ現代日本人は、たとえ己が命絶えてしまうほどに貧困で苦しくとも「誠義」を貫き、己の為だけに他人への愚業を行ってはならないという教えを忘れるべきではないことが我々理想の民族のありかただと思うのです。

人間といえども地球上の生物の一種であるため、弱肉強食という野生の質があるのは仕方ないとはいえ、それでも他の生物とは比べ物にならない程に格段に優れた知能を持っているのは事実ですから、そこに理性や道徳がなければ何の進歩もなかったはずです。

しかし、昔から世界中で本当に身勝手で無慈悲な事件が起こっているのは事実であり、近代的な技術によって発展してきた社会環境に住むようになったにもかかわらず、相変わらず止むことが無いまま悲惨な想いをさせられている被害者が後を絶たないわけです。

訳もない無慈悲な凶悪犯罪を許してはいけないという正義の思想を諦めない為にも、その昔に賛同できたこの物語を想い出し考えさせられた最近でした。

ということで、前置きが長くなりましたが今回は「No Mercy for Selfish, Ruthless Criminals! — A Reflection on the Morality of Justice in the Movie *Death Wish*」(身勝手で無慈悲な犯罪者は許さない!という映画『デス・ウィッシュ』(邦題:狼よさらば)の正義の道徳性について考える記)という題としました↓

法や警察などを頼りにできない!自ら裁きを下し悪を絶つ自警団

人間であれば誰でもそうですが、自分がした過ち・悪行は自分がよく分かっています。悪いことをしたということを悪い事だと分かっているのです。しかしたとえそれが悪い事だと分かっていても自分のためにやったわけです。他の人がどうなろうとそんなことなど構わずの心で・・(正に野生心)

幸せに暮らしていた平穏な家族の生活ををバラバラにされた会社員。警察や法律では犯罪者を「人権の保護」として厳しい刑をすることはなく、やがて社会へ再び放ってしまいます。その苦しみと怒りで無慈悲で悪魔のような犯罪者をその男は許せなかった為、自ら立ち上がり街の悪行を行う者たちを処罰することにした物語が「狼よさらば・デスウィッシュ」1974年、原作はブライアン・ガーフィールドの小説から映画化されたものでした。(映画はその後5シリーズ製作されました)

悪行の裁きは必ず執行されなければならない!ビジランテ(自警団)はバットマンにも似ていますが、普通の平凡なサラリーマンが悪人を処罰するために立ち上がるのです!

作者はアメリカ・シカゴで無慈悲な犯罪が増えていきそれの被害者家族の怒りを代弁するかのような物語を書いていたのだと思います。確かにその昔に私もニューヨークやシカゴで実際に怖い目にあったことがありましたので、自由の国アメリカでも同時に無慈悲な犯罪大国でもあるのだなと実感しました。

このことについては賛否両論が起こると思います。被害者の家族や友人知人らは賛同するかもしれませんが、第三者では悪い奴らといっても処罰するのはいけないとか、人を襲う熊を処分しては可哀そうだというのと同じように正当な意見ぽく訴えるでしょう・・別記事「野獣の熊の駆除について」の綴り記

文明開化・近代国家が進んだ1900年代、民主的法律というものが制定されて人権というものも考えられるようになったのは大変良いことではありますが、犯罪者にとっても「人権」というものがあるという形になっていき綺麗な刑を与える社会となりました。

大昔は日本でも他国でもそれはそれは激しい刑罰が行われていたわけですが、今はそのような残忍な体罰は一部の国を省きほとんどなくなりました。だからというわけでもないかもしれませんが、犯罪を犯しても民主的な刑なので恐れるほど怖くはないため、懲りずに繰り返し悪行を犯すのかもしれません。

中世時代、武士の時代、西部開拓時代などにされていた恐ろしい刑罰とは比べ物にならないほど体罰の無い今は甘いのです。「どうせ捕まっても酷い刑をされるわけでもないだろう!弁護士が軽くしてくれるしな!」など言えるほど「犯罪者でも人権がある!」と盾にするわけですから・・

死刑執行という裁きはありますが、その体罰以外には中間刑がありません。むち打ちの刑や腕を切り落とす刑や足を切り落とす等、恐ろしい刑は無いので怖くはないのかもしれません。あとは無期懲役ですから・(近年のロシアは使い捨ての鉄砲玉扱いで兵員として出されてますけど・・)

道徳のある人間の形成に失敗した不良品(悪人)は癌細胞と同じなのか

理性と道徳を持つべき人間の失敗作、つまり細胞でいう癌細胞は無条理に発生するもので仕方がない自然のなりゆきなのかもしれません。

細胞の形成で不良細胞ができてしまった時には当然に抗体・免疫(キラーT細胞)が、体内の異常細胞を消滅させる役目になっていますので、この社会でもその係があっても良いのではとも思うのです。

何の被害にも合っていない第三者(裁判官や裁判員、判事や弁護士など)には公正な判決をと考えるでしょうけれども、とにかく当事者である被害者と家族にとってはその犯罪者を許せない立場・心境であり、それこそ重い刑を執行してもらいたいと思っているはずなのです。

今やサイバー犯罪詐欺はともかく、トクリュウという現代型犯罪が発生しており、無知な若者を使って強盗殺人事件を引き起こさせるという無慈悲な悪行を許してはいけないのです!

根元から絶たなくては犯罪は永遠に終わりません。恐ろしい刑罰があるから犯罪は起こさないようにしようという抑止力も本当は必要なのではないでしょうか・・

核の傘で抑止力を持っている国々があるように、ハリネズミに針が備わっているように、毒がある生物は食べられないみたいに・・

その悪行人生を後悔させるためにも恐ろしい刑で処罰され、また一から生まれ変わって(赤ん坊~幼児から)正しい人道をやり直してもらうのが良いのでしょう!

けれど、また無事に人間として生まれて来れるかは分かりませんが・・。

本当に目指すべき道徳ある人間社会は犯罪の無い豊かな国である

鍵屋さんもセコムも必要ない社会環境こそ、理性のある生物・人間の本当の平和な社会といえます!

調べてみると世界には警察が暇な国・街があるようで、そこの警察官は銃など装備していなく所持しているのはスプレーだということ。ここ日本の警官でさえ拳銃は装備しているのに、そこではそんなものは必要ないという程度の事件しか発生しないということなのです。人類という高度な生物が持つ理想的人間社会といては、そのスプレーさえ所持する必要ない、しいては警察さえ必要のないのが正しいありかただとも思えます。

北極圏の方にある国「アイスランド」は人口も少ないという理由もあると思いますが、ずっと世界で一番犯罪の無い国として有名です。(私も学生の頃に一度は行ってみたいと思ったのですが行けないまま年老いてしまいました・・)また、一文字違いのアイルランドも同じ位良いそうです・・

デンマークやフィンランドなど北欧の国々は税金も高いだけあって社会福祉が充実しているようで、比較的に生活も安定しているためなのか犯罪率も少ないとのこと。

世界各国においてその国の幸福度は犯罪発生数に大きく影響することは確実であり、誰であれ幸福で安泰の人間には犯罪心は起こらない・犯罪する必要が無いということなのです・・

人が被害を与えられると様々な法律が増えていきます。知恵のある人間は様々な悪行を思いつき、そしてその結果新たな犯罪を作っていくことで更に益々新たな法律を作らせて、どんどん自らの首を絞めつける息苦しい社会へと変わっていくのです!人の犯すことが人の厳しい社会を作っていくのです・・

究極的に考えられる悪行を無くす方法は大きく2つしかない!

これまでいろいろと考えてきましたが、究極的に結論付けするとなると考えられること、犯罪を発生させない方法は大きく2つに絞られるのではないかと思います。

一つ目は結局全ての人々が犯罪を発生する必要が無い生活の豊かさであると思います。生活に満足していれば何の不満もなくなり、悪い事をする必要もなくなるわけです。買えるお金があれば万引きする必要もないし、買いたいものも買えるので窃盗も必要ないのです。

全ての人々が何も不便なことがなければ悪い事をする気にもならないということですが、知恵のある人間には変な考えが湧くものですからこれも完璧ではないかもしれません。

もう一つは極端なことですが、悪行を犯した者の刑を恐ろしいものにして抑止力を強大にするということです。正当な致し方のない理由の過ちを除いて、中世時代や武士の時代などに行っていた厳しい刑を復活させればその刑の恐ろしさに犯罪をする者も少なくなると思われます。

犯罪者を発生させるのは社会であり、犯罪者を無くすのも社会しかありません!

幼児の頃から道徳を教えているはずなのに、なぜか高学年頃から道徳秩序を忘れていく青年が育っていくのは家庭環境が一番影響を与えているものですが、それも生活の豊かさに比例しているといえるのです。

生まれて育った後には生きていく為に安定した衣食住を得る生活を続けなければなりません。それができない状態であれば生きる為に野生の様な考えに支配されるのです。食べる必要性、安心して休める環境というものを常に追わなければ絶えてしまうわけですから・・(この生身の体を持っている間は)

しかし、それでも人は他の動物や昆虫とは断然違います。野生化してはいけない存在だと思います。ましてや武士道(義)の国に生まれたDNAを持つ日本人は道徳で生涯を全うすべきでしょう!

つづく・・


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