「人生はジグソーパズルのようである」と想う記




人の世 人生とは、ジグソーパズルのよう。

これは、今では今生には居ない古き友も言っていたことだが、

私も長年生きながらえてきて、今になって深くそう思うことである。

ジグソーパズルというものは、人の人生にたとえることができると想う。

自ら決めた、あらかじめ描いてある1つの絵を細かいピースにバラして

長い時間をかけて、またひとつひとつピースを繋げて絵にしていく。

初めは何の絵だったか覚えてはいるものの、長い年月をえて

しだいに忘れていき、自分が何の絵を完成させるのか忘れてしまうのだ。

1つのピースが1日だとすれば、その僅か1ピースではまったく何のことだか

解る事はできないのだが、日数が経っていくと少しづつ部分が判ってくる

どんどん年月が経って、さらに大きく部分が広がってゆき

あの日の1ピースの意味が判ってくるようである。

人それぞれ、持って生まれた今生のパズル

そのピース数も、その完成する絵も、みんな違い

完成しなければ、どんな絵なのか解らないのだ。

 

1日1日ごとに繋がっていくピースは、
その日だけでは分からない意味を持っている。

つまらない1日、失敗をした1日、ラッキーだった1日など

様々な1日があるが、すべては最後に完成する1枚の自分が選んだ絵

1部分にすぎないということである。

良かった日も、悪かった日も、すべて大きな自分の絵に必要な1ピース

自分の絵が何ピースになっているかも解らない。

少ないピース数の人も、多いピース数の人も みんな

分からないまま、生きていかなければならない。

今は亡き古い友もある時、こんな事を 言っていたことがあった。

人生はパズルみたいだなぁ。あの時の事が
後になって意味を知らされたなぁ
!」

そう、良い事も悪い事も、後からその意味を知ることがあるのです。

人生は、あみだくじ}という綴り記を前にしてありますが

分からないだけで、すでにどんな流れになっているのか

どんな流れになっていくのかは、決まっているということだと云う事を

古き友も感じていたのではと想いました。

ここで、記しておきたいことは 一つ

あまり先の事を、真剣に心配することはない!

ということである。

遠い昔に居た祖母も、私が悩んでいる時に そのような事を聞かされました。

安ずるな、なるようにしかならない!」

まだ若かった私は、そんな言葉の意味さえ考える事はしませんでしたが

歳をとった今では、自分の子孫へ伝えるべき言葉だと思っています。

今日がどんな日だったとしても、それはすでに避けられなかったことであり

そうなるシナリオだったと悟ることで、諦めがつき

明日からのことを考えるべきだと思いつきます。

今 生きている自分のパズルは、まだ終わっていません。

最後の1ピース目を入れた時、自分がどんな絵の人生だったかが

解かるのです。

 

すべては最後になって解るもの

人生は、ジグソーパズルと同じ様である。

もともとひとつの絵はできており、それを自分で生きながら
組み立てていくような感じになっている。

そう悟って、すでになってしまった失敗や不幸の出来事を
必ず後で意味が解ると信じて、進むしかありません。

くる時は、くるし。 こない時は こない

どうなっていくこと すべては

もう決まっていますから、心配は無駄なこと

「今日も、そうなっていたのだ・・」と悟り

その1ピースの必要性さえ感じていくのです。

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