「介護老人の世話」真の親子は気持ちが違うのだろうと思った記碌記




自分が段々と歳を取っていけば、当然に自分の親も老いていっています。

親と毎日一緒に(身近で)暮らしているならば気が付きませんが、たまに会う場合はその様相の違いがはっきりと感じるでしょう。

以前に綴った記[老老介護でゴキブリ屋敷の奮闘記序章]にある通り、私は40年前の父親の介護手続きを手伝うこととなり、尚且つ極汚住居の大掃除リフォームも完遂できた為、介護施設のヘルパーさんらが今でも抵抗なく訪問して頂けてる状態になっております。

「介護老人の世話」について、血のつながった真の親子は面倒みる場合でも、その気持ちによって細かいところで違いが出るのだろうと、ふと感じましたので今回に記しておこうと思いました。

*この記は元父に対する個人的な綴りになってしまっている為、余程暇なお方以外はここでページ離脱をお勧め致します。

 

現在は毎月数回訪問するようになっていますが、40年以上も前に私たち家族を置いて出て行き(母と離婚、養育費学校費等全く支援無し)、自由気ままに独りで生きてきた無責任な父親でしたから、最初は役所からの手続き要請に抵抗を感じたものでした。

「あなたとの関係にそういう事情があるならば、行政が行いますので・・」

そう市役所に言われたのですが「若干の申請手続きをしてあげるくらいなら、仕方なくやってあげても良いかな」と、支援センターとの話し合いへ赴いたことから始まったのです。

しかし、一度首を突っ込んでしまうと放置できない性格のせいで、病院での介護審査用診断や介護手続きに必要な書類記入など手伝っているうちに、普通の親子関係に戻ってしまった感じになり全ての手続きを完了した後も、すっかり息子として窓口になっていました。

ヘルパーさんが訪問できる様な環境の住居では到底なかったので、その酷く汚れたゴミ&ゴキブリ屋敷もクリーンアップし支援センターの方も見違える様、綺麗にリフォームを完了させたのでした。

おそらくですが、あの酷い屋内の状況は「ゴミ屋敷+ゴキブリ屋敷」のため、行政では処理の出来ないレベル(業者でも誰もやりたがらない)だったと思います。(詳細記はこちら

業者にゴキブリ卵屋敷の清掃と、あちらこちらの物に糞尿跡が付着したゴミ処理と、その清掃後は人間が住めるように綺麗にリフォームを実施などと依頼するならば、引っ越しした方が良いと判断されたことでしょう!

実際、私が清掃業者に見積もりのため状況を観てもらった時に言われたことは

「これは、もう人が住む状態ではないので、壊した方が良い!外の方がまだ綺麗に見えるし・・」

業者は解かったのでしょう!ここがゴキブリ製造工場だったということを・・

 

 

180度変わって綺麗になった部屋へ戻ってきた後、今では当たり前の様に住んでいますが、本当にこの人は運が良い人だと思います。40年も一人で自由気ままに生きてきて、老いて調子が悪くなったら40年前の息子に助けを得ることができたのですから・・。

処分しきれなかったゴミ不要物も1年をかけて少しづつ処分を続けて、すっかり外も中も不要物は無くなりすっきりとした環境になりました。(除草剤も散布して周囲もスッキリ!)

介護施設の協力もありましたが、細かい処分方法や段取りは私の計画で実施しました。

そして全てのリフォーム&クリーンアップが完了した1年後、ここで私はふと思いました。

「もし私の状況や環境が現在とは違っていたとしたら、この様な事を出来なかったはず・・」

「あの時、元父親の手続きを放棄して行政に振っていたら、ここまではなっていないかもしれない・・またはここには居ないかも」

清掃業者でもリフォーム工事会社でもない私は、仕事として今回クリーンアップ&リフォームを行ったわけではありません。

もちろん必要な材料や外注にかかる費用は、彼の僅かに残っていた年金から出させましたが、なぜ家族から出て自由に生きてきた父親のために、物凄く汚い家の細かい箇所まで気を回し施工したのか、誰もが思うことでしょう。(自身の家族にも思われました・・)

遺産が多くてそれを目当てであったならば、それは手伝い等を頑張るのは当然なことと思われるでしょうけども・・。

しかし、40年間も独りで相応の収入もあったにもかかわらず、この今回の清掃リフォーム必要経費(材料費、外注費やエアコン照明冷蔵庫等家電、ベッドや家具用品)ぴったり程度しか預貯金が無かったのは、本当に情けなかったです。(定期も株券も保険も全く無し!)

計算して解かったことですが、独り身で安アパートに40年も暮らしていれば、比較的高い厚生年金収入からみても最低500くらいは残っているはずなのです。または医療生命保険加入だけでもあれば、まだマシだったのに・・

それでも20万ちょっとしか無かったのは、すべて自分勝手な考えで生きてきた証であると思いました。(ほとんど犬猫餌代とパチンコに消えたのでしょう)

この汚れたアパートの状態で、いつの日か勝手に逝くつもりの考えだったのでしょうが、後処理の事など全く考えない無責任で愚かな事だとさえ思いもしなかったことが本当に鮮明に分かります。

あの真冬の年末、ゴキブリの入ったコタツで昼夜を過ごし低温火傷12か所にも気付かずに、ある日突然に動かなくなった下半身に困り果てた数日後、民政員がたまたま訪問してくれたことで現在まで生きながらえることができているのは、本人も想像すらできなかったと思います。

たぶんあの時誰も来なければ、コタツに動かない足を入れたまま終わりを待っていたのでしょう。また、それでも良いと本人は思っていたことが私には何となく解りました。何となく・・

体が元気なうちは身勝手に生きていましたが、老いて不自由になった時に他人の支援や元息子(元家族)に世話をしてもらえるなんて、本当に今になって己のやってきた人生を振り返るべき時が来たのだろうと思います!

私は何だかんだ言いながらも、元父の最後の時が訪れるまで介護支援等を付き合うことになりそうですが、これも元父の汚い押入れから出てきた古く半分千切れた白黒写真で、そこには元父の母が独り撮られており、見ると「申し訳のない馬鹿息子だけども、どうぞ宜しくお頼み申します・・」と、まるで頼んでいるかの様に写っているのを見つけた「この私の定め」なのかもしれません・・

*    *    *

おわりに

まったくの血の繋がらない他人の極汚れ家屋を、仮に私が清掃会社で仕事として請け負うことだったとしても、当然あんな細かいところまでクリーンアップし、綺麗なリフォーム仕上げなんてしなかったと思います。

これからも自分がヘルパーさんらの様に訪問することになるからという意味もありますが、まるで自分が住む家屋ぐらいの気持ちで行わないと、あんな細かいところまで頭に浮かぶことはないでしょう。仕事なら他人の家なんで「ここは見えないから、やらなくてもいいや!」で手を抜いて終わらせるのが普通でしょうから。

この点が他人と身内、仕事で行なうのと私用で行なうのとの大きな違いが出てくるのだとあらためて自分でも大きく感嘆するものでした。もう二度とやりたくはありませんが・・

なれそめはこちらの記から