人の世は山を登るに似ているとの想い

人の人生は、山を登ることに似ているような想い

日光の東照宮へ行った時に見かけた立て札に、同じようなことが書いてあります。

一生は重荷を負うて、遠き道を行くが如し

徳川家康の墓があるとするこの東照宮、毎年多くの観光客が訪れることで有名ですよね。

昔のその昔から、人は人生について様々な例えを著わしていたんですね~

いつの世も、どんな立場でいても、ばかりの日々はなく

また、生まれてからずっとばかりでもありません。

*****晴ればかりもなく、雨ばかりもない************

長くこの世に生きていると、様々な経験をさせられるものです。

若い頃は夢中で毎日を過ごしているので、考えることはありませんが

老いて歳を重ねていくと、今までの様々な出来事を振り返るようになり

あの時の事は何だったのか、ふと意味が解ることがあります。

自分が選んだ「その山を登る」という人生

思春期の年ごろ、学校や交友関係などで嫌なことがあったり、劣等感を感じたり

不幸な環境に悩んだりした時、自分の親に言ったことがあるかもしれません・・

私なんかを何で生んだんだ~!」

遠い昔の頃(昭和前半くらい)の子供は、そんな事を言うものはいませんでしたが

裕福な時代になってくると、そういった余裕のわがまま言葉も出てきたのでしょう。

何で生まれてきたんだ~!」 と逆に、親に言われてしまう私でしたが・・。

「自分でここからスタートと決めて来たんだよ! お前は! 」 と

遠い昔のこと、亡き祖母は言っていたのを 今想い出します。

先に冒頭で記した徳川家康の立て札の

「一生は重荷を負うて、遠き道を行くが如し」

重き荷とは、おそらく自分に与えられた試練箱だと思いました。

現代の様な技術(文明)の栄えていなかった江戸時代までの人間が

「重荷」と言えば、責任や義務という意味を指しているのかもしれませんが

私は「その都度に自分が背負っている箱から出てくる様々な課題(問題)」

と解釈できるのではとも感じたものです。

ある時のタイミングによって、課題、問題が現れてその試練を乗り越え

到達点を目指し、ひたすらに山道をゆくのです。

山の頂上であるゴールに到達した時は、この人生の達成として満足感で満ち

さらに望む者は、もっと険しい山のコースを選びたくなるものです。

生まれてきてずっと、課題・問題という試練が起こらないという人間は

ひとりも居ないと私は思います。

試練が早めに先に起こる人生と、だいぶ遅れて後から起こる人生という様な

こともあるかもしれませんが、試練のない人生という物語は

敵の出てこない冒険ゲームみたいで、全く面白くないのです。

******平和過ぎる物語は、面白くない*********

老人ホームで、みなさんが互いに昔の自慢話を語り合っているのを聞くと

昔の苦労話ばかりなのですよね。

誰も幸せだった事の話を語ろうとしないのは、苦労した話の方がみんなが

関心をもってくれるからなのでしょう。

引用より

経験しないと何事も実感的には解らないものですよね。

病気も、なったことがない人にその痛みの度合いは解らないと同じで

どんなことも自分が体験してみないと、本当のことは分からないのです。

この世に生身の生物として生まれて来れたことは、この様々な体験ができる

という考えに切り替えてみれば、有難いチケットに当たったと思えるのです。

他の文献でも目にした言葉なのですが、

自分に乗り越えられる壁のみ、この世に持ってくる

もちろん自分で持って生まれた、この乗り越えられるはずの「試練の壁」を

残念ながら乗り越えないまま、自ら終わりにさせてしまう人も存在することは

事実ですが、そこには別の意味が隠されていることもあると思います。

この別の意味については、別記で綴ったことも関係あるのかもしれません。

********乗り越えることに試練の意味を掴める********

遠い昔のわが国の歴史の中で、戦国時代などの厳しい時代ではなく

この近年の日本に生まれて来れたことは、今でも内乱、戦争のある国や

飢餓と闘っている環境に生まれてくるよりも、はるかに運が良いことです。

多少の貧しい家庭に生まれたとしても、障害を背負った体でもない場合は

昭和の後半(30年代~)の生まれである私としても、戦争の時代を知らない

そんな平和な時代に生まれた者でしたから、恵まれていたのです。

まだ頂上までは到達できていませんが、山の高いところまで登ってきました。

そんな歳を経た私も、様々な試練はあったのです。

長い人生、良い時もあれば悪い時もあり

子供の頃の病気や、様々な会社の倒産での失職、商売の失敗、家族の手術など

多くの試練の壁が起こってきたものでした。

厳しい試練に負けそうになる時は、自らこの世を去ることも考えた経験もあり

当時の経験は、ずいぶんと後になってから意味が解ったこともありました。

また、その経験は後になって良くも悪くも「想い出」となって

子供らにも、孫らにも語れる「お話」になっていくのです。

人生の山の頂上に到達することができれば、その人の物語は見事に満足した

達成感を得て締めくくることができるのだと思いますが、もしかしたら

それは、とても恵まれたというシナリオも同時に備えていたのかもしれません。

とにかく、生きていられる間は「試練という重い荷」を背負いながらも

頂上をみんな目指して登っている様だと想いましたね~。

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